逆にテレビの収録のお仕事は苦手でした。写真撮影も同様ですが、私はカメラ越しの見えない誰かに向けて笑ったり、表情を作ったりすることは得意ではなかったみたいです」
――他にも今だから言えるつらかったことはありますか?
稲葉「楽曲も見せ方も“可愛らしいアイドル”とは異なっていたためか、好評価をいただく反面、ひどい言葉で批判されることもすごくありました。自分たちは“アイドル”という意識じゃなかったけれど、どうしてもその枠にはめられてしまって。当時は私たちのようなグループを表現する言葉が一般的ではなかったように思います」
◆「私は何も持っていない」と悩んだことも
――パフォーマングループの走りかもしれませんね。そのカッコよさを体現できたのはメンバー4人の個性があったからこそでしょうか。
稲葉「そうですね。一方でメンバーが4人いる中、当時は比べられることの辛さもありました。私以外の他の3人が民謡歌手、オリンピック選手、外国籍と異色の肩書きや個性を持っている。その中でいうと経験はあるものの、私は何も持っていないのではないかと感じていたんです」
――でも、稲葉さんはまとめ役というかリーダー的存在だったじゃないですか?
稲葉「それ! 稲葉は太シスのリーダーってよく言われるんですけど、別にそういうわけじゃないんです!」
――えっ、そうだったのですか?
稲葉「太シスはリーダー不在のグループなんです。役割分担みたいなものはありましたけどね。私からすれば逆にどうしてそう思われたんだろう?って感じです(笑)」
◆解散後は司会に振り付け、裏方として邁進
――稲葉さんは太シスを解散した後も、ハロー!プロジェクトで様々な活動をされていましたよね。
稲葉「振り付けをやったり、レコーディングのコーラスをやったり、コンサートの司会をしたり舞台でお芝居をしたり……色々なことをやらせてもらいました。