稲葉「あの頃は大阪で活動していたけれど、そんなにお仕事もなかった時期だったんです。アルバイトももちろんしていましたし、実は芸能活動を辞めようかとすら思っていました。

そのタイミングでASAYANの企画を知って、これが最後のチャンスかな、と。これでダメだったら引退の道を選ぼうと考えていたんです」

――いち芸能人として、それなりに切羽詰まった状態ではあったのでしょうか。

稲葉「人生そのものが終わってしまうわけではないので(笑)、崖っぷちとまでは思っていませんでした。芸能の世界ではないところで、普通に暮らしていくだけの話です。

この世界って自分の頑張りも必要だけど、それだけではどうしようもないことってあるんです。一つのお仕事をいただいたら、またそのご縁で次のお話が……の繰り返し。オーディションがダメだったらそういうことだし、合格したらまだ続けていいよってことだと思っていました」

◆「可愛いアイドル」の枠にハマれず、ひどい批判も

太陽とシスコムーン、稲葉貴子さんインタビュー
――オーディションに受かり、太シスとして新たに活動を開始。ASAYANでも大々的に取り上げられていた全盛期はどのような心境だったのでしょう。

稲葉「なんかもう……記憶がないところがけっこうあるんですよね。毎日目の前にあることを一生懸命やるしかなかったから。OPDでも歌やダンス、ライブもやっていましたが、太シスの活動はそれだけではなく、初めて経験することも多かったんです。ASAYANは台本がなくて、当日その場で内容を知らされますし(笑)。

それに今では考えられないほどの目まぐるしいスケジューリングでした。仕事が終わった後のメンバーとの挨拶も『また明日!』ではなく『また後で!』くらいの感覚だったくらい」

――寝る時間もないレベルだったのですね。

稲葉「そこはやっていて少し辛かった部分かもしれません。でも、遊ぶ時間が欲しいとかはなかったですよ。活動自体は楽しいし、好きなことができている実感がありました。私は特にライブが一番好きでしたね。お客さんの直接の反応が返ってくることがとても楽しかったし、これは今でも変わっていません。