◆『PINKY』卒業後は仕事の幅を大きく広げた
――『PINKY』時代から、その後のキャリアはどう変化していきましたか?
木下:『PINKY』時代は専属モデルだったので、ほかの雑誌に出られないという縛りがありました。ですが、基本的なモデルとしての部分を学ばせてもらえました。そこから『GLAMOROUS』『sweet』『美人百花』をメインに、ストリート系からきれい系の雑誌まで、いろんなテイストのお仕事をやらせてもらっていました。
――かなり仕事の幅が広がったのでは?
木下:すごく広がりました。ギャル系雑誌のオファーをいただいたときも、私はやってみたいと思いましたし、幅を広げるという意味では『PINKY』卒業後もチャレンジばかりでした。
――最近だとブランディングを気にする人も増えていますが、木下さんは系統を1つに絞らずにチャレンジしていたのですね。
木下:当時はSNSの時代ではなかったことも関係していると思います。自分でブランディングして露出することが今ほど簡単なことではなかったので、機会をいただけるときに露出することは、自分にとってのステップアップでもありました。人の手を借りて人に求められてこそ、自分が世に出られるという時代だったのかなと。