◆母の「毒」に気づいたきっかけ

ーーあらいさんの中で、お母さんに対する違和感が大きくなったきっかけは何だったのでしょうか?

  

あらいぴろよさん(以下、あらい):自分が子育てをする中で「お母さんはなぜあのときこうだったんだろう」と違和感が大きくなり、本書に描いたとおり、父の四十九日の席で母と話したことで決定的になりました。

 でもそれで母に対してどうすればいいのか結論が出せなくて、とりあえず距離を取ることにしたんです。そこで答えを出さなかったことが、母から「毒」を引き継いだ状態を長引かせてしまったのだと思います。

ーーお母さんから引き継いだ「毒」とはどんなものなのでしょうか?

あらい:母と同じように「かわいそうな私」をアピールして、子どもに対して「こんなにしてあげているのに」と逆恨みしたり、現実逃避する状態です。

 母は「可哀想な演技」のエキスパートで、私はそれを見てコントロールされてきました。例えば「離婚しないのはあなたたちのためよ」といった罪悪感を煽る言葉がいかに強力なものか私は知っているんです。

 子どもの頃は「私たちのために犠牲になったのだから母は悪くない」と思って、母が包丁を持って暴れたり暴言を吐くことがあっても「いつか本当の母に戻ってくれる」と希望を持ってしまっていました。でも今は母はすごくしたたかで、子どもをコントロールするのが上手だったんだなと思います。

 私もそんな母から「私はこんなに可哀想なんだから仕方ないじゃない」と言い訳することを学んでしまったことでラクをしていたと思います。それを手放して本当の意味で母と決別することは、すぐにはできませんでした。でも今は、「絶対に子どもには同じことをしないでおこう」と思っています。

ーーお母さんがときどき暴言や壁を殴るなどの暴力を子どもの頃のあらいさんに向けていた描写がありましたが、なぜだと思いますか?

あらい:母は自分自身のためにしていた選択を「私は子どものためにしているんだ」「これが愛なんだ」と私たちに責任を押し付けていました。根本に「子どもたちのせいで」という思いがあったから、私たちに当たっていたのだと思います。母は母ではなく「女」だったので、父親が興味を示している私を敵視し、余計当たりが強かったのだと思います。

ーー片方の親が暴力をふるったり、お酒を飲んで暴れたりと、明らかによくない行動をとる親である場合、もう片方の親を「母だけは(父だけは)まともで、私を愛してくれる」ということが子どもの心の支えになると思います。それが違うと分かったことは、かなりツラかったのでは無いでしょうか。

あらい:母に愛情をかけてもらったと思うことが心のより所になっていたので、ひどくツラかったし「やってられない」という気持ちになりました。

 子どもに罪悪感を持たせるくらいなら本当のことを言ってほしかったです。「お金がないけど自分で働きたくない」「お父さんはあんな人だけど、私は好き」と本音を言われたら、たしかに傷付くと思いますが、軽蔑できて、こんなに長くドロドロした思いを引きずることはなかったのでは、と思います。