◆無痛分娩で体力を温存するどころか……

あいりさん
――かなり大変なお産でしたね……。

あいり:そこからがまた地獄でした(笑)。麻酔を入れてくれたので陣痛や会陰切開の痛みはなかったのですが、いきむたびに目玉は飛び出そうだし、先生がお腹の上に乗って全体重をかけて押しているし、身体も呼吸もとても苦しかったです。それでもなかなか出てこなかったので最後は吸引分娩になったのですが、最初に分娩台に上がってから出産するまで、33時間かかりました。無痛分娩で体力を温存するどころか、すべての力を使い果たしました。

産まれて少ししてから、泣き声が聞こえてきて安堵で涙が溢れました。が、それも束の間で息子は黄疸と低血糖をおこしているとわかり、一瞬顔の横で息子を眺めて写真を撮っただけですぐにNICUに連れていかれました。残った私は出産での出血量が1.5リットルあり、そのまま分娩室で輸血しました。出産後の晩、真っ暗な中で心電図のモニターだけが光っていている様子を眺めながら「あれは幻だったんじゃないかな?」と赤ちゃんが生まれたことがまだ信じられないような思いがありました。

――いつ頃、赤ちゃんが産まれた実感が湧いてきましたか?

あいり:出産直後は赤ちゃんがNICUにいて、近くにいなかたので、仕事のことを考えていた気がします。出産までの100日間をYouTubeのショート動画で毎日投稿していたので、視聴者の皆さんに「産まれました」という報告を早くしなければとか考えていました。

産後も輸血は続きましたし、貧血状態のため絶対安静と言われていたので、移動は車椅子でした。看護師さんに連れられてNICUに会いに行き、赤ちゃんを抱っこしたときに「あぁ私はこの子を産んだんだな」という最初の実感がありました。とはいえ、まだ信じられない思いもあり、「私はこの子のお母さんなんだ」としっかり感じたのは、初めて母乳をあげたときだったと思います。

不妊治療でつらかったことなどはしょっちゅう走馬灯のように思いだしますし、今でも寝かしつけのときなど、息子に「産まれてきてくれてありがとう」と伝えています。これまでの経験から、無事に生まれてくることが当たり前ではないことを実感していたので、産まれてきてくれたことに常に感謝しています。

<取材・文/都田ミツコ>

【都田ミツコ】

ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。