東京都八王子市、北海道苫小牧市、栃木県日光市は、千人同心を縁とした姉妹都市盟約締結50周年を記念して、三都市の絆を感じながら魅力を存分に味わえるイベント「三都絆祭(さんときずなさい)」を、11月17日(日)10時~16時に「東京たま未来メッセ(東京都立多摩産業交流センター)」と「えきまえテラス(八王子市保健所跡地暫定広場)」にて開催する。

江戸時代に幕府の家臣団だった「八王子千人同心」

千人同心を率いて蝦夷地にわたった千人頭・原半左衛門胤敦と弟の新介は、八王子市上野町の本立寺に眠る。墓前の石灯籠は苫小牧市から贈られたもの

そもそもこの三都市の関係を紐解く上では、江戸時代に幕府の家臣団だった「八王子千人同心」の存在が欠かせない。結成当初は、落城後間もない八王子城下の治安維持を目的に活動していた千人同心だったが、江戸時代に入り世の中が安定すると、徐々に役割も変わっていった。その代表例として挙げられるのが「蝦夷地の開拓」と「日光火の番」だ。

18世紀後半、ロシアの進出を警戒する江戸幕府の命を受け、千人同心が勇払原野(現苫小牧市勇払)に入植した。想像以上に過酷な現地の自然条件などにより開拓は振るわず、病人や死者が続出したことにより4年で引き上げることになったが、この千人同心の事業が苫小牧の礎を築いたといわれている。

戊辰戦争の際に東照宮を戦火から守った千人頭・石坂弥次右衛門義礼の墓。墓石の前の香台は、日光市から贈られたもの

また日光市では、徳川家康がまつられ、幕府の精神的なよりどころであった東照宮の防火と警備を200年以上にわたり千人同心が任された。幕末の戊辰戦争では、当時の千人頭だった石坂弥次右衛門義礼が戦わずして新政府軍に明け渡すことを決断。本人はこの責任を取って帰郷後の夜に切腹してしまうが、豪華絢爛な東照宮の建築や装飾などの名工の技術を現代でも見ることができるのは、この義礼の決断を含む千人同心の献身があってこそといえそうだ。