イラクの首都バグダッドから車で南へ二時間。イスラム教シーアの拠点となり、歴史の証人ともなったクーファの美しいモスクを歴史とともにご紹介します。
神学と学問の都市クーファ
クーファはバクダードの南方に位置する都市です。正統カリフ時代の第4代カリフ「アリー」が首都を置き、イスラム教アリー・シーアの拠点でもあります。また、イスラーム法学の研究の中心地のひとつであり、クルアーン(コーラン)解釈学の始まりの場所でもあります。アラビア文字の書体であるクーフィー体の名前はクーファに由来し、アラブの男性が頭に巻く「クーフィーヤ」もクーファが語源とされるなど、アラブの歴史に深く関わる重要な街です。
イスラム教シーアの起点となったクーファの歴史
現在に至るイスラム教の宗派「シーア」は、ここクーファが始まりです。街のご紹介をする前にその歴史を紐解きたいと思います。
初代イマーム・アリーの拠点クーファ
偉大なるイスラム教預言者ムハンマドを父方の従兄弟にもち、ムハンマドの娘ファーティマの夫でもあるアリーは、ムハンマドがイスラム教の布教を開始したとき、最初に入信したひとりとして早くからムハンマドの後継者と目されていました。
アリーの暗殺
第四代カリフとなったアリーは、首都を現サウジアラビアのメッカからここクーファへ遷都します。しかし661年、アリーはクーファの大モスクで祈祷中、毒を塗った刃で襲われ2日後に息を引き取ります。正統カリフ時代のカリフ4人のうち3人は暗殺されています。
◆正統カリフ時代
- 第一代カリフ:アブー・バクル(632年 - 634年)
- 第二代カリフ:ウマル(634年 - 644年)暗殺
- 第三代カリフ:ウスマーン(644年 - 656年)暗殺
- 第四代カリフ:アリー(656年 - 661年)暗殺
ウマイヤ朝の開朝
ウマイヤ家出身の第三代正統カリフのウスマーンが暗殺された際、彼を輩出したウマイヤ家はこれをアリーの一派による仕業と糾弾していました。アリーが暗殺されたのち、ウマイヤ家のムアーウィヤは正式なカリフを自称し、イスラーム世界の統治者となります。また、カリフの地位を自己の「家系による世襲」と宣言しウマイヤ朝を開きます。
アリーの支持者による反発とシーアの形成
ウマイヤ家の世襲に反発したアリーの支持者は、それを認めず「預言者ムハンマドの娘婿であるアリーと、ムハンマドの血を引くアリーの子ハサンとフサイン、およびその子孫のみが指導者たりうる」と主張。彼らを無謬のイマーム(指導者)と仰ぎます。のちにアリーの支持派は「シーア」となり、ウマイヤ朝の権威を認めた多数派は、後世「スンニ」と呼ばれるようになります。
アリー・シーアの十二イマーム
アリーを初代イマームとしたシーアの人々は、アリーの長男ハサンを第二代イマーム、弟のフサインを第三代イマームとし、彼らを無謬のイマーム(指導者)と信仰します。しかし、680年にイラクのカルバラーでウマイヤ軍に襲撃され悲惨な最期を遂げます。
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◆十二イマーム派
- 第一代イマーム:アリー
- 第二代イマーム:ハサン
- 第三代イマーム:フサイン
- 第四代イマーム:アリー・ザイヌルアービディーン
- 第五代イマーム:ムハンマド・バーキル
- 第六代イマーム:ジャアファル・サーディク
- 第七代イマーム:ムーサー・カーズィム
- 第八代イマーム:アリー・リダー
- 第九代イマーム:ムハンマド・タキー
- 第十代イマーム:アリー・ハーディ
- 第十一代イマーム:ハサン・アスカリ
- 第十二代イマーム:ムハンマド・ムンタザル - 隠れイマーム
その後はフサインの系統が代々イマームの地位を継承しますが、すべてのイマームは暗殺されます。874年に第十一代イマームが亡くなると第十二代となるべき「ムハンマド=ムンタザル」は姿を消してしまいます。アリー・シーア信者は第十二代イマームは迫害を避けて「お隠れ(ガイバ)」になった」「その後も人知れず生き続け、世の終わりに先立って救世主として再臨する」と信じるようになりました。
テロ組織の温床とされたクーファ
クーファは先述の通りアリー信奉者の多い街です。サウジのメッカから、わざわざ首都を遷すほどアリーにとって重要な街でしたが、これに伴いしばしば反乱・反政府の温床ともなりました。近年のイラク戦争では、テロ組織の温床とされ、侵攻した米軍と激しい戦闘が発生し多くのイラク人が亡くなりました。遡って、中世にはアッバース革命の中心地となり首都に返り咲くなど、政治の中心となる重要な街だったのです。