けれど、周りにそのような者が多いということは、Uとは違う決断をした者が多いということである。Uの言葉を借りれば「人生最大の悲劇」をしかと引き受けた者が。

 集まっていた女性たちは私よりもずっと大人で、彼女の話が何を意味するかを理解しつつも、彼女に「今は元気そうで良かった」とか「赤ちゃん楽しみだね」とか、ちゃんと相応しい言葉をかけていた。

 皆、私に障害があることも知っていた。私とUの双方に配慮しつつも団らんを続ける周囲に申し訳なくなりながら、私はぼんやりと「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」と啄木の詩を思い出しているだけだった。

◆思わず抱いてしまった「醜い感情」

 Uは数年前に伴侶と購入した新築マンションの一階に保育所があるが同じような年代の夫婦が多いためそのマンションはベビーラッシュで希望の保育所に入れるかどうか不安だという話や、中絶をした後に夫婦で犬を飼ったが躾をする前にお腹の子を授かったので慌ててドッグトレーナーを呼んだ話などをしていた。もちろん、その犬はペットショップで購入されていた。

 和気藹々と女性同士の話が進む中、私は怒りが静かに込み上げてくるのを抑えるのに必死だった。Uがペットショップで一番可愛く育てやすそうな犬を選んだという話を聞きながら子もそのように選んだのかと思い、湾岸沿いの蜂の巣のようなマンションからUのような思想を持つ子どもたちが大量に羽ばたいていくのかと思い、自分勝手な妄想に自分で腹を立てていた。

 そしてこう思ったのだ。「障害児を産めばよかったのに」。私は確かにそう思った。一瞬のことで打ち消そうとしたけれど、私はこの醜い感情を持った自分に慄き、その瞬間を忘れることは不可能だった。私はそう、確かに思ったのだ。こっち側にきてみろ、と。

 私は幼い頃から障害者を差別する人間に嫌悪感を持っている。その頃は自分が障害者であるなんて思ってもおらず、ひとえに母親の教育に依るものだった。マルクス主義者の母は、人間は平等であるべきで、そのためにあなたはいつでも弱い者の味方をしなさい、と私に教えた。そして強い者と闘いなさい、と。ベルリンの壁が崩壊しても母の教育は変わらなかった。