――子育ての最中も俳優の仕事は続けていたのですか?
「ゼロではありませんでしたけど、ハッキリ言って売れてはいませんでしたね。結局、一旦は辞めて子育てに専念することにしました。子育てをやり切った後に演技への想いを忘れてしまっていたら、それまでかな、と。才能がなかったということだと思うことにしたんです」
◆20年前の、19歳だったときの自分に“後押し”されて
――でも結果、今でも続けているということは。
「そこは才能云々の話ではないですね。39歳の時に、段ボールいっぱいに入っていた無名塾時代のダメ出し帳を発見したんです。入塾初日に書いた1ページ目には、『40歳になって何者にもなれなかったら潔く諦めること』って書いてありました。おそらく19歳だった当時の私にとって、40歳が違う人生をギリギリ始められる年だと思ってたんでしょうね」
――発見したのが39歳ということは……あと1年! そこで何か行動を起こしたのですか?
「今、誰と仕事をしてみたいのかを考えて思い浮かんだのが、原田眞人監督と井筒和幸監督でした。だからまずは、この二人にアプローチしてみよう、と」
◆「若い俳優志望の子たちばかりの中、ダントツで年上」
――2人とも映画界の大物監督!
「狙うなら大御所を狙っちゃおう。ダメもとなんだから目標は高く! くらいのノリでした。どうせ簡単には近づけないだろうし(笑)。でも、そのタイミングで原田監督がワークショップを行うと知ったんです。原田監督作品のどんなところが好きか、自分の思いを何枚もの手紙にしてワークショップの最終日に手渡しました。その後、映画の研究会やオーディションに呼んでくださるようになったんです」
――原田監督、クリア(笑)! 井筒監督の方は……?
「井筒監督が主宰している学校に40歳で入学しました。でも、周りが若い俳優志望の子たちばかりの中、私だけダントツで年上なわけです。それを『こんなとこにいていいの? おばはん』なんて面白がってくれて、飲みに連れていってもらえるようになったんです(笑)」