つまり、言葉と音楽が分離した状態でしか曲に接することができなくなっている。これが、いまの日本の音楽受容のおける大きな問題なのではないかと思うのです。

◆“分かる”“理解できる”を追求しすぎの世情

 では、なぜこのようなことが起きてしまうのでしょうか?

 そこには、“分かる”、“理解できる”という成果を過度に追求する世情が影響しているように感じます。

 異質なもの、自分の理解を超えたものへの興味、関心、許容度が大幅に低下している。何にでも解答や解決法がなければ心配になってしまうので、とりあえず着地点を作って、自分の中で処理できたことにしなければならないという強迫観念ですね。

 簡単に言えば、難しいことに耐えられなくなっているのです。

 だから、歌詞には必ず隠された作者の意図があり、感動的なメロディやコード進行には計算された工夫があるということになってしまう。

「Lemon」の歌詞で“米津の言いたいこと”にクローズアップした林先生も、この病から逃れられなかったと言えるでしょう。

 それを改めて浮き彫りにしたことこそが、今回の対談の大きな価値なのです。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】

音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4