調べれば調べるほど、「落書きは、こどものいたずら」でもなければ「たかが落書き」ではない、複雑で深刻な背景があることが明らかに。都市中心部の空洞化と高齢化などによる地域自治管理・地域教育能力の低下と、街で生起する問題への社会的無関心の増大が様々な「スキ」を生んだ。それが落書きとして目に見える形へ可視化されてはびこり、重犯罪者の誘引効果を生み出して、犯罪の温床となっていることがわかってきたという。

調査によると、落書き犯は、対象を小さな店舗や高齢者の家などに集中させていることが膨大な写真記録から見え始め、犯罪特有の「弱いものいじめ」のメカニズムも発見。しかし、いざ消すとなると落書きは一定の規模でまとめて消さなければ、いたちごっこになってしまうという実情もある。

落書き犯罪は、地域自治、私有財産管理という自己責任論と現実の都市経営資源の不足、そして管理手法の陳腐化が三位一体となって相互作用しながら、自治管理の真空状態を作っているところに入り込んでいる現象だ。落書き消去で効果をあげる方法を試行錯誤で模索するなかで、「一斉消去」という方式に行き着いたという。

ひたすら頼んで落書きを消させてもらう

しかし、落書きを消すためとはいえ、人の家の壁にペンキを上塗りするには事前の許可と段取りが必要だ。たくさんの壁をボランティアで消すとなると、予想以上の手間がかかるもの。「ひたすら頼んで消させてもらう」という、謙虚さが問われる準備の中で地域との交流が生まれ、地域の中でも薄れていたコミュニケーションの再構築が進んだ。

その中で、子どもたちや若者が落書き消しを心から楽しむ姿も。子どもたちが傷ついた街を汗を流して楽しく修復することで、「自分たちの街は自分たちが守る」という気付きが芽生え、消した壁を気にして見ることで街への愛情を自然に育み、卑劣な犯罪を許さないという自覚を新たにするだろう。

もちろん、子どもたちが消した跡に落書きがかかれることもあるが、そこで彼らは「犯罪被害者」の気持ちを擬似体験し、こころのそこからの悔しさや悲しさを感じて、人の痛みを想像できるようになるはずだ。

街の落書き10カ所を一斉消去