では、実際どのように行われていたのでしょうか。

 2001年のアメリカ同時多発テロ計画を立案したとされるハリド・シェイク・モハメドら5人の被告は、2002年から2003年にかけて拘束された後、CIAの秘密施設に移送されます。CIAの取り調べは凄惨きわまりないものでした。

 米上院の通告書によると、<モハメド被告は手足の自由を奪われ、顔に大量の水を注いで自白を迫る水責めを約2週間に183回受けた。その間、眠らせないように約180時間にわたって立ったままの状態にもさせられた。>(『47NEWS』2023年11月10日『水責め、睡眠妨害…テロ組織幹部への拷問で問われた米国の「正義」 愛用のG-SHOCKを外して入った機密だらけの軍事法廷には独特のルールが【グアンタナモ報告・後編】』より)とのこと。

 水責めは、こうした文脈で語られるものなのです。

 こんな企画を面白おかしく見ている風景は、海外から見たらとんでもなく異様に映るでしょう。それは演出のクオリティ云々ではなく、そもそも人を笑わせる手段として思い浮かぶはずのものではないからです。

 そうした国際的な理解や前提について、あまりにも無知なことが問題なのです。

◆坂本龍一氏が指摘したダウンタウン的な笑いの問題

 次に、倫理的な面。

 ベストセラー小説『永遠の仔』で知られる作家の天童荒太と坂本龍一の対談本『少年とアフリカ』(文藝春秋 2001)の中で、ダウンタウン的な笑いが映し出す社会の問題を、坂本氏はこう指摘しています。

<ここ二、三年のダウンタウンの芸って、年下の芸人をいたぶってるだけで、一言で言うと、「どんくさいやつをいじめてなにが悪いの」ってことでしょ?>(p.118)

 と、開き直りを正当化する芸風の危うさを論じ、さらなる過激化を懸念します。