『おむすび』初回で、結ちゃんの高校入学の日が描かれていました。みんなヒヤヒヤしながら結ちゃんが階下に降りてくるのを待っていたのは、これだったんですね。

 結局アユは初日から高校に親を呼ばれ、そのまま退学。通信か何かに通うことにしたようですが、今度は天神で傷害事件を起こしてしまいます。ゲーセンの順番待ちでトラブルになり、相手を突き飛ばしてケガをさせたのだとか。

 そうしてアユの「ギャルデビュー」は「不良デビュー」として描かれ、激しく後悔するパパの様子を映し出して、次回へ。

■語らないねえ、実に語らない

 何度も、何度もこのドラマの説明不足について不満を述べてきたわけですが、アユのギャル化についても明確な動機は語られませんでした。

 引きこもり中にマキちゃんの遺品であるギャル曲のCDを聞き、ギャル雑誌を読んでいた。マキちゃんは元気いっぱいで性格の明るい女の子でしたが、ギャルではなかったし、ギャルへの強烈な憧れを語っていたわけでもありません。

 物語としては、アユはマキちゃんの遺志を継いでギャルになった、という流れなのですが、そこに説得力が全然ない。後に九州を牛耳ることになるカリスマ爆誕の瞬間を描くシーンのはずなのに、ここでも視聴者に行間を察することを強いる「察しろ病」が発動している。

 全部、あるんだろうなと思うんですよ。アユがギャルになった真意も、傷害事件を起こした理由も、ちょっと前に語られたおじいちゃんがパパの学資を使い込んだ理由も、なんかあるんでしょう。

 こうやって後回しにするのは、もう脚本家の手癖だと思っちゃうしかないんだけど、それにしても「小出し」が弱い、伏線が弱いんだよな。アユがどんな顔でブリーチ剤を買いに行ったかとか、金髪になった鏡の中の自分をどんな顔で眺めていたとか、覚悟くらいは見せてほしいんですよ。覚悟を見せて、その覚悟の裏に何があったかを後回しにするならいい。アユのギャル化の瞬間を主体ではなく「現象」としてしか描けなかったところに、やっぱり『おむすび』というドラマの弱さを感じた次第です。

(文=どらまっ子AKIちゃん)