ダウンタウンのテレビを見て芸人を志したという塙、創価大学の落語研究会の先輩だったエレキコミックにも大きな影響を受けたと明かす。当時、塙は家賃5万円のアパートで暮らしていたが、わざわざやついいちろうらが住んでいた1万8,000円のアパートに引っ越したというのだから、その影響の大きさは計り知れない。
本格的に漫才師を目指してからは、当時、「海砂利水魚」を名乗っていたくりぃむしちゅー、漫才協会に入ってからはあした順子・ひろし師匠の名前を挙げる。
特に、塙は順子・ひろしの漫才における自己紹介のくだりをピックアップし、「まずは15分の自己紹介漫才を作ること」で漫才師はスタイルを確立できるといった、技術的な方法論にまで話を発展させていた。
そして、『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)の決勝に進出し、テレビの寄席番組に出演するようになった30代からずっと影響を受けていると語るのが、爆笑問題だった。