井浦:あのシーンは、クローンの撮影が始まって2日目に撮りました。対話のシーンまでに、自分のなかで、ちょっとずつ新次を積み重ねて育てていました。その新次と、「それ」が対面したんです。あの研究所で管理してくれた人たちのもとで育った「それ」をどう表すか。アプローチしていった結果、ポン!と出てきたのが、あの「それ」でした。

『徒花 -ADABANA-』
――ポンと出てきた。

井浦:はい。育てていった新次とは違い、僕も対面する感覚でした。

◆「徒花であっても無駄花ではない」は監督の美意識そのもの

井浦新さん
――タイトルでもある“徒花(あだばな)”に言及するシーンも印象的です。「徒花であっても無駄花ではない」と。そこに続く言葉は、読者にはスクリーンで見てもらいたいと思いますが、井浦さんは、あそこで語られた言葉に何を感じますか?

井浦:とても好きな表現です。命の意味は、次の世代を残すためだけに存在するのではないと思います。甲斐(さやか)監督は、本当に残酷で特異な世界観を持っている監督ですが、ただ残酷だったり、狂気だったりするのではなく、ベースに美しさがあります。

その美しさも、どこか完璧じゃなかったり、土臭かったり、沈まないようにもがいているような姿の中に一瞬見えるきらめきのような。『徒花』というタイトルや、そのシーンは、監督の美意識そのものだと感じました。

――「それ」との呼び名に思うことは。

井浦:そこにも甲斐監督らしい残酷性が出ていると思います。

◆お芝居も物づくりもデビューからずっと二足のわらじ

――井浦さんご自身についてもお聞かせください。映画にドラマにと観ない日がありません。俳優業以外のこともされています。どう時間を工面しているのか不思議です。ご自身としては戦略的に分析してきっちりバランスを取っているのか、それとも、「やってしまう」のでしょうか。大変では?

井浦新さん
井浦:お芝居も物を作ることも、自分自身が好きだからというのが、基本にあります。これが誰かからやらされているのなら、壊れてしまうかもしれないし、何かを止めたくなったり、時間もうまく使えないかもしれません。