プロ野球は10月26日より日本シリーズが始まるが、すでに終戦となったチームは続々と来年に向けて始動。中日、阪神、オリックス、楽天、西武と、5チームも新監督が誕生する大荒れのオフになっている。このうち阪神の藤川球児と西武の西口文也はチームのレジェンドだが、中日の井上一樹、楽天の三木肇、オリックスの岸田護は、かなりの野球好きでないと名前を知らない人物だ。こういった“軽量級”の監督の起用は、日本球界では異例だ。

「日米のプロ野球の大きな違いは監督の経歴です。日本の監督は元スター選手ばかりですが、アメリカでは選手として芽が出なかった人物が監督になることが多い。また、日本では引退して即監督になるケースもありますが、アメリカはマイナーで経験を積んでからメジャーに上がるプロセスを経ます。

しかし、一概に日本がダメなわけではない。かつては“名選手、名監督にあらず”と言われましたが、野村克也、落合博満、工藤公康、原辰徳など、選手としても監督としても卓越した成績を残す人物が次々と登場。日米の違いは良し悪しではなく、文化の違いというしかありません」(野球ライター)

 今シーズン開幕時の監督を見ても、阿部慎之助(巨人)、高津臣吾(ヤクルト)、立浪和義(中日)、岡田彰布(阪神)、松井稼頭央(西武)、新庄剛志(日本ハム)、小久保裕紀(ソフトバンク)ほか、いずれも人気と実力を兼ね備えていた元スター選手ばかり。それが一転、来季はにわかに実力主義となったのはなぜか?

「スター選手を監督にすれば、監督の名前だけで客が入る。これは大きな魅力ですが、日本の監督の年俸は現役時代の実績で決まります。だから年俸が億を大きく超える人もいれば4000~5000万円で収まる人もいる。年俸と成績が比例しないのは世の常ですから、フロントが“高い金を払ってもダメなら、安いヤツにやらせてみるか”と考えるのは自然です。

特に中日と西武は、満を持して監督に起用した立浪と松井が散々な成績に終わり、“名選手、名監督にあらず”を地で行く結果になってしまった。いきおい、地味な人物を選ばざるを得なかったのでしょう」(週刊誌スポーツ担当記者)