むしろ記号そのものとしての美しさを味わい尽くした先に初めて言葉としての意味がやっとうまれてくる。風見の格言の真意がそれなのかはわからないが、でもここではっきりしていることがある。

「一」から深い読み解きをする風見役の松本その人は、美麗そのものとしての記号のように機能している。どこまでも表層的だからこそ美しいということである。松本が風見の内面よりもまずは外面(表層)を重視したのはそのためだと思う。

◆オファーによる出演もうなずける

『おむすび』© NHK
 こうした格言をいえるだけの腕前の持ち主でもある。風見は、高校野球の応援用の横断幕の書き手を任される。結の憧れの眼差しがさらに高まる第8回、高校の玄関前に部員一同で縫い合わせた横断幕を敷いて、一発勝負の筆入れ。

 白い和服に裸足。風見がブルーシート上を歩くとぺたぺた足音がする。この短音のつややかな響きだこと。緊張の一筆目、バケツを満たす墨に大きな筆をじゃぼっとひたす。バケツから抜き取り勢いよく半紙にぼたっ。墨の滴がほとばしる。

 ワンカット目に風見の右足に墨がつく。ツーカット目に彼の左足も墨で汚れる。これなら足裏ぺたぺたペイントアートが完成してしまいそうな気もする。ここにも裸足という外面で見せていこうとする松本の気概がうかがえる。今回の朝ドラ出演がオーディションによるものではなく、オファーによる出演だったことが、この外面性の極め方からうなずける。

<文/加賀谷健>

【加賀谷健】

音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu