◆男女で分けられる学生時代の辛さ
――佐々田が「男の子として生きていきたい」と思いながらも「それを毎秒毎分諦(あきら)めている」と感じていることが印象的でした。沢村さんも同じような思いがあったのでしょうか。
スタニング沢村:ずっとそうですね。自分が生きたいようには生きられるわけがないと思っていました。
――トランスジェンダーであることは、学生時代の方が辛さが大きいのでしょうか?
スタニング沢村:学生時代が私としては一番辛かった、というか、怖かったです。
これから先もずっと、私が今から出ていく社会は人間をあらゆる場面で男か女かのどちらかで居なさいという風に選択を迫ってくるし、その選択の中には自分の自認するジェンダーは無いし、どちらかと言えばこちら(男性)の側にも私は生まれなかった。これからどうしよう、という恐怖ですね。
「これ以上ジェンダー化された空間にいたくない、早く漫画家になって引きこもりたい」と思っていました(笑)。
◆体育祭のフォークダンスで心がズタズタに
スタニング沢村:特に体育祭のフォークダンスが嫌でしたね。参加はしたのですが、それはダンスのパートナーがクラスで一番の美少年だったからなんです。
ものすごく可愛くて「この子と手をつなげるんだったらいいや」と思っていました。でも、いざスカートを履いて踊ったら、心がズタズタに傷ついて、ものすごい痛みを感じました。
――どんなことに傷ついたのでしょうか。
スタニング沢村:私は、「可愛い男の子と手を繋いだ瞬間に、トランスジェンダーという悩みが晴れて、”私の悩みは偽物だった”ということになるかもしれない」という想像をしていたんです。
「女の子になれるなら、それでいいじゃん」と思っていました。でも実際には、「女の子として、人と手を繋ぐことは私には無理なんだ」と痛感しました。
◆自分の性自認が“場”に合っていない