宮城県旧登米町(登米市)

日本中では目まぐるしく、日々いろんなイベントがひらかれている。「そんな日本には、どのような土地があるのだろう」と、写真家として活動している私(仁科勝介)は、“平成の大合併”時に残っていた、旧市町村をすべて巡る旅に出た。その数は2000を超える。

今回、地域や自治体、企業の取り組み、新商品などの情報を発信するニュースサイト「ストレートプレス」で、それらを紹介する機会をいただいたので、写真を添えて連載をスタートした。

「ストレートプレス」内に登場するローカルな市町村と、関係があるかもしれない。

今回は、宮城県旧登米町(登米市)を写真とともに紹介する。

Vol.311/宮城県旧登米町(登米市)

登米市の歴史を語る上で、旧登米町は欠かせない。まず、読み方から違う。登米市(とめし)だけれど、登米町(とよままち)だ。登米(とよま)という地名は、1220年前から確認されているそうだ。隈研吾氏が設計した「登米懐古館」の展示で知った。

そして、この地域はかつて北上川を交通の起点として、江戸時代も栄えた。現在も「みやぎの明治村」として、江戸や明治の建築物が数多く残っている。最初に訪れたのは「みやぎの明治村」のひとつである、『伝統芸能伝承館 森舞台』で、ここが隈研吾氏の設計だと知って気になっていた。

見学の仕方はふたつあって、単体の入場券を買うか、「みやぎの明治村」の施設に全部入れる1000円の共通券を買うか。

時間の制限もあるし、ぼくは森舞台と登米懐古館の、ダブル隈さん建築の見学にしようと最初は思っていた。合計600円なので、単体の券をそれぞれ買う方が安いのだ。

でも、森舞台の受付の方が、「ほんとうに単体でいいんですか?」と、粘り気はないけれど、シンプルに残念そうにおっしゃるので、よし! と共通券を買った。

ちなみに森舞台では野太い声が聞こえてきて、今日、何かの舞台があるのかと思ったけれど、地元の方々による練習だった。月に一度集まっているという。「登米能」という伝統芸能が残っているのだ。かっこいいなあ、いつか見てみたい。ほんとうに。