多くのファンを熱狂させ、様々なアーティストに影響を与えた歌謡界のスーパースターが沢田研二さんことジュリーです。沢田研二さんの名曲は今も人気があり、国内外の歌手がカバーをしています。今も人気の高い沢田研二さんのヒット曲をランキング形式で紹介します!

沢田研二とは?

沢田研二さんは1960年代後半から歌謡界のスーパースターとして、多くの曲をヒットさせました。1945年6月25日生まれで、鳥取県鳥取市が出身地です。ニックネームのジュリーは沢田研二さんがファンだというイギリスの女優、ジュリー・アンドリュースが由来とされています。

1960年代のグループ・サウンズブームで人気を集めた「ザ・タイガース」のリードボーカルとしてデビューをしました。解散後はソロ活動を行い、数々のヒットを記録します。歌手だけではなく、俳優や音楽劇などでも活躍をし活動の幅を広げていきました。

沢田研二の人気曲TOP10!

第10位:DOWN(1990年発売)

1990年2月7日、東芝EMIのEASTWORLDレーベルから発売された沢田研二さんの54枚目のシングルです。作詞は尾上文さんで、ロックバンドのNOBODYが作曲を行いました。この作品からアナログ盤での発売がなくなり、CDのみの販売となります。アルバム「彼は眠れない」からのシングルカットです。

フジテレビで放送されていた「夜のヒットスタジオ」での1990年2月7日の放送最終出演時での楽曲でした。オリコンの最高順位は81位です。

第9位:おまえにチェックイン(1982年発売)

1982年5月1日、ポリドール・レコードより発売された沢田研二さんの36枚目のシングルです。作詞は柳川英巳さん、作曲は大沢誉志幸さんです。曲の冒頭のコーラス部分のパートはジュリー、大沢誉志幸さん、佐野元春さん、伊藤銀次さんの4人で行なっています。

オリコンでは週間8位で1982年度の年間46位にランクインされました。

第8位:ストリッパー(1981年発売)

沢田研二さんの34枚目のシングルで、オリコンの最高順位は6位です。同年6月に発売されたアルバム「STRIPPER」からのシングルカットになります。作詞は三浦徳子さん、作曲は沢田研二さん本人が行いました。

第23回日本レコード大賞で金賞を、第12回日本歌謡大賞では放送音楽賞を獲得しています。ジャケット写真には「JULIE & EXOTICS」と書かれていて、沢田研二さんととバックバンドのメンバー全員が写真に写っています。また、テレビ番組では派手なメイクと衣装姿で歌っていました。

第7位:おまえがパラダイス(1980年発売)

1980年12月23日にユニバーサル ミュージックLLCから販売された32枚目のシングルです。作詞は三浦徳子さん、作曲は加瀬邦彦さんが行なっています。オリコンの最高順位で16位にランクインしています。

テレビ番組では、沢田研二さんが歌いながらギタリストの柴山和彦さんの髪をぐしゃぐしゃにかきむしるパフォーマンスをしています。ライブでも同様に柴山和彦さんに対して行うようになりました。

第6位:TOKIO(1980年発売)

1980年1月1日にユニバーサルミュージックから販売された29枚目のシングルです。作詞は糸井重里さん、作曲は加瀬邦彦さんです。アルバム「TOKIO」のシングルカットバージョンの楽曲です。オリコン最高順位で8位にランクインしました。

ジュリー本人が考案したという250万円をかけて作られてた電飾の施されたスーツと、パラシュートを背負って歌う姿が注目を集めました。しかしこのパフォーマンスで、デビュー以来バックバンドのリーダーを務めていた井上堯之さんは違和感を感じて、バンドは解散することとなりました。

第5位:カサブランカ・ダンディ(1979年発売)

1979年2月1日にユニバーサル ミュージックLLCから発売された沢田研二さんの26枚目のシングルです。作詞は阿久悠さん、作曲・編曲は大野克夫さんです。オリコンでは週間最高順位で5位に、1979年度の年間26位にランクインしました。

曲名の「カサブランカ」は、1942年にアメリカで公開された映画「カサブランカ」が由来で、歌詞中の「ボギー」は映画「カサブランカ」主演俳優のハンフリー・ボガートの愛称です。この曲をテレビ番組で歌う際の洋酒を口に含んで霧を吹くパフォーマンスが話題となりました。

第4位:サムライ(1978年発売)

1978年1月21日にユニバーサル ミュージックLLCから発売された沢田研二さんの22枚目のシングルです。オリコン最高順位で2位にランクインされました。作詞は阿久悠さん、作曲は大野克夫さんが行なっています。シングルバージョンとアルバム「思いきり気障な人生」に収録されているバージョンがあります。

この曲で着用した衣装が、ハーケンクロイツの腕章を付けたナチス風であったため、問題となりました。その後衣装は丸ごと替えられました。

第3位:憎み切れないろくでなし(1977年発売)

1977年9月5日にユニバーサルミュージックLLCから販売された沢田研二さんの21枚目のシングルです。オリコン3位にランクインされました。作詞は阿久悠さん、作曲を大野克夫さんが担当しており、以前に発売された「勝手にしやがれ」がボツになった場合の代わりとして、大野克夫さんが作曲をしていました。

TBSテレビの「ザ・ベストテン」では1978年1月19日の放送で第6位で初登場しました。その翌週の放送でも10位に入り、2週間ランクインされました。

第2位:危険なふたり(1973年発売)

1973年4月21日にユニバーサルミュージックLLCから発売された、沢田研二さんの6枚目のシングルです。英題は「TWO IN THE FACE OF DANGER」です。沢田研二さんソロ活動後、初めてオリコンの1位にランクインしました。作詞は安井かずみさん、作曲を加瀬邦彦さんが担当し、65万枚のヒット作となります。第4回日本歌謡大賞を受賞する作品となりました。

第1位:勝手にしやがれ(1977年発売)

1977年5月21日にユニバーサルミュージックLLCから販売された、沢田研二さんの19枚目のシングルです。作詞を阿久悠さん、作曲は大野克夫さんが担当しました。この作品で4作目になるオリコン週間チャート1位を獲得します。数々の賞を受賞し、沢田研二さんの代表曲となりました。

タイトル元は1959年に公開されたフランス映画「勝手にしやがれ」が由来となっています。