ところで、冒頭に記した「ゆりやんは被害者」という感情に少なからず寄与していたのが、鈴木おさむというクリエイターのパブリックイメージである。そのイメージとは、言葉にするとひどいことになるが、「軽薄で節操ナシの拝金主義者」というものだ。実際はそんなことはないのだろうけれど、なぜだか(特にお笑い好きの間では)鈴木おさむにはそうしたイメージが付きまとう。
ドラマの中でそのイメージを体現していたのが、団体を牛耳る松永3兄弟である。エースだったビューティ・ペアの人気に陰りが見えれば引退をかけて2人に試合をさせるし、勝ち残ったジャッキー佐藤にも躊躇なく引導を渡す。
あらゆるギミックを駆使して少女たちの情熱を操り、金に換えていく松永3兄弟が劇中で、いつになく真剣なまなざしを見せるシーンがいくつかある。
それは、まだ名もない少女たちの中に、スター性を見出す瞬間である。長与千種、ライオネス飛鳥、ダンプ松本、後のスーパースターたちは決して大人たちにゼロから作られた偶像ではなく、自ら強く発光し、勝手に輝き出していたのだということだけは、このドラマは丹念に描いている。
ウソだらけなのにウソがない。ウソがいつしか本物になる。プロレスもドラマも同じだ。
お笑いの世界で「ストイックな求道者」として生きてきた芸人・ゆりやんレトリィバァと、鈴木おさむという節操ナシのクリエーター。その2人がプロレスという特殊な世界観を媒介にして出会い、化学反応を起こした。『極悪女王』は、そういうドラマだった。
そして、信じられない精度で再現された志生野温夫の実況が聞こえる。
(文=新越谷ノリヲ)