これも私がそう記憶しているのだが,渥美清の映画『寅さん』に小百合は2度出ているが、それがちょうど結婚前と結婚後であったと思う。
特に結婚後の作品は、その前にはなかった若妻の色気のようなものが感じられ、サユリストたちはガックリして劇場を後にしたものだった。
多くのサユリストたちの“恨み”を一身に向けられた夫、岡田も大変ではなかったか。
その岡田が亡くなった。享年94。長生きであった。
SponichiAnnex(9月14日 04:30) はこう伝えた。
「家族葬を済ませての発表となった。吉永の両親の反対を押し切って1973年に結婚して以来、50年以上にわたって仲睦まじく夫婦生活を送った。直筆の文書で『大往生だと思います』と吉永は夫を思いやった。後日お別れの会を予定している。
献身的な看病も実らず、最愛の夫が天国に旅立った。喪主を務めた吉永によると、昨年12月に胆のうがんと診断され、化学療法の治療を続けていた。岡田さんは回復を目指して常に前向きだったが、転移もあり、症状が悪化。最期について『傍(そば)に寄り添って看取(みと)ることが出来ました』と記した。
吉永との出会いは1964年、映画「愛と死をみつめて」の公開直後に制作されたドキュメンタリーだった。同番組のプロデューサーを急きょ任されたのが岡田さんで、当時19歳だった吉永の欧州旅行に約1カ月間同行した。
結婚はそれから9年後の73年。2人を接近させたのは、働き詰めによるストレスで声が出なくなった吉永を岡田さんが支えたのがきっかけ。吉永の方がぞっこんだった。離婚歴があり、15歳年上の岡田さんとの交際に、吉永の両親は猛反対したが、それを押し切ってのゴールイン。73年6月28日に婚姻届を提出し、8月3日に挙式。岡田さんのフジテレビの同期で歌手畠山みどり(85)の夫、千秋与四夫さんの自宅を借り、奈良岡朋子さんの立ち会いの下で愛を誓った。その後は東京・新宿の京王プラザホテルでの披露宴と流れたが、吉永の両親はついに姿を見せなかった。
逆境から始まった新婚生活だが、岡田さんが90歳を過ぎてからも、夫婦そろって旅行やゴルフを楽しんだり、クラシックコンサートに出掛けたりと、周りの人々がうらやむほどのおしどりぶりで知られた」