アジア太平洋観光社が運営する大阪・多元文化センターでは、9月7日(土)~22日(日)の期間、何香凝美術館主催、アジア太平洋観光社共催にて『何香凝芸術文献展』を開催中だ。
アジア太平洋観光社は、日中両国の相互理解の促進を目指して、日中両国の観光、文化に関する出版物の発行から写真展、書画展、コンサート、文化公演に至る、様々な文化活動の企画と運営を行っている。
同展は、2017年に芸術家・革命家としての何香凝女史の生涯の出発点である東京で、「何香凝芸術名作展」を開催したことがきっかけとなり、2024年に大阪での開催に至った。
中国と世界の友好関係構築に貢献した何香凝女史
何香凝女史(1878-1972)は中国香港に生まれ、本籍は広東省南海県棉村。自ら「棉村居士」、また「双清楼主」と雅号をつけていた。中国近現代において、政治活動家及び芸術家としての賞賛を一身に集めた女性だった。
同氏は、1903年に夫の廖仲愷氏とともに学問探求のため日本に渡り、1905年に中国同盟会に加入し、中国の民主革命に尽力した。1949年以後、華僑事務委員会主任、中国人民政治協商会議全国委員会副主席、全国人民代表大会常務委員会副委員長などを歴任している。
新中国の建設事業、社会主義建設と民族統一事業、並びに中国人民と世界各国人民との友好事業に捧げるなど、その多大な貢献により国内外での威信を高めた。
松や梅を素材とした雄大な絵画の構想が特徴
何香凝女史は、かつて中国美術家協会主席を務めており、同氏の作品は常に松や梅、獅子、虎、山河を素材としていた。その絵画の構想は非常に雄大で、70年に亙る革命の生涯と高尚な人格とを如実に反映している。
また、多くの作品に中国の芸術家と国の指導者の補筆、題詞が見られ、作品がより厳かで重厚な印象に。まさに中華民族の至宝と言えるだろう。
1909年に何香凝女史は、現在の女子美術大学である日本の私立女子美術学校に入学し、絵画を学んだ。端館紫川氏に師事し、山水花卉を学ぶとともに、皇室の画家である田中頼璋氏の下で獅子、虎などの動物画を描くために研鑽を重ねた。