一方、岡留さんのほうはまったくほっこりしていません。ウイルス事件も誘拐も、すべて14年前に娘を殺された岡留さんが仕組んだ復讐劇だったことが見えてきました。かつて補導したことのある不良少年たちをたぶらかして警察のデータベースに侵入させ、さらに自らを誘拐させて拳銃を奪わせていた。その拳銃を娘を殺した犯人に送りつけて、何かをどうにかしようとしているようです。

 岡留さんを真犯人に仕立て、岡留さんに恩のある西条にその事件を追わせるという配置は実にドラマチックですし、岡留さんを演じるほっこりおじさんの小林隆がその実、復讐の鬼だったという展開はハードボイルドでもあります。おそらく、この岡留さん事件がクール全体をしめくくるものになるのでしょう。

 今回、ロケ隊の事件と岡留さんの誘拐、2つの事件がともに狂言でありながら、その事件をでっちあげた動機は正反対のものだったという対比も効いています。中盤でばらまいた謎の要素をひとつにまとめてくる手際も、なかなかにダイナミックだった。総じて、おもしろいことをやろうとしていることは、すごく伝わってくる。でも、なんか見づらいんだよな。見づらいんですよ。

■ラインの話

 ドラマの世界にはリアリティラインという言葉があって、フィクションの中でどれくらい現実をデフォルメするかという基準が一定じゃないと、見ているほうが混乱してしまうわけです。主に世界観やキャラクター造形によって作られるラインです。

 もうひとつ、ドラマチックラインというものもあって、これは発生する出来事のシリアス度合いや事態の激しさ、描写の残酷さなんかの基準も一定にしましょうという話です。

 もちろん作中で上下変動するものでもあるわけですが、2本のラインのどちらかは一定であったほうが見やすいわけです。見やすいというのは、余計なことを考えずに物語に没頭できるということです。

 せっかく冒頭でほかのドラマの話をしたので例を挙げておくと、『海のはじまり』や『降り積もれ』は2本のラインがビッチビチに定まっている作品、『新宿野戦病院』は終盤でドラマチックラインを大きく動かしてきた作品という感じ。