2024年7月、実に102年ぶりに、イスタンブールにあるオスマン帝国時代の宮殿「ユルドゥズ宮殿」の一般公開がスタートしました。ユルドゥズ宮殿の歴史や見どころ、アクセス方法や気になる入場料をご紹介します。

ユルドゥズ宮殿とは?

ユルドゥズ宮殿 宮殿内の最大のパビリオン

ユルドゥズ宮殿(Yıldız Sarayı)は、日本語で星の宮殿を意味します。イスタンブールのボスポラス海峡沿いに位置するオスマン帝国時代の宮殿です。19世紀後半、スルタン・アブデュルハミト2世が主に使用した離宮で、彼の治世における政治の中心地となりました。宮殿は広大な庭園に囲まれており、複数のパビリオン、行政棟、モスク、劇場などから構成されています。2024年7月から102年ぶりに博物館として一般公開がスタートしました。

ユルドゥズ宮殿の建築様式は?

ユルドゥズ宮殿 1865年アブデュルアジズによって建てられた行政棟

ユルドゥズ宮殿の建築様式は、オスマン伝統建築と西洋の建築様式が融合したスタイルが特徴です。宮殿の建物やパビリオンには、新古典主義やバロック、ロココ、ゴシックなどの西洋建築様式が見られる一方で、オスマン建築特有の要素や装飾も取り入れられています。このような多様なスタイルの組み合わせにより、ユルドゥズ宮殿は豪華かつ独特な外観を持つ建物となっています。

ユルドゥズ宮殿の設計には、アルメニア人建築家サルキス・バルヤンとその兄弟アグプ・バルヤンが深く関わっています。バルヤン一族はユルドゥズ宮殿だけではなく、ドルマバフチェ宮殿やチュラーン宮殿、ベイレルベイ宮殿といったイスタンブールの重要な建物の設計にあたった、当時の宮廷に仕えていた建築家一族として知られています。

ユルドゥズ宮殿を利用したのは誰?

ユルドゥズ宮殿 噴水がある帝国会議室

ユルドゥズ宮殿を利用したスルタンは、アブデュルハミト2世だけでなく、アブデュルメジト1世アブデュルアズィズなども含まれます。アブデュルメジト1世は、ユルドゥズ宮殿を避暑地として利用し始め、後にアブデュルアズィズが宮殿の建築を拡張しました。アブデュルアズィズの時代には、宮殿の庭園やパビリオンがさらに整備されました。しかし、ユルドゥズ宮殿が最も有名になったのは、アブデュルハミト2世がここを公式な住居および統治の中心地として使用した時期です。