そんな消化不良のままお話は終わっていき、ずっとこのドラマの語り部だった舞ちゃん(橋本愛)のナレーションが流れます。

「思えば私たちが、こんな風に密に関わりあったのは、この日が最後だったかもしれません」

 ああ、と思ったんだよな。「密」って漢字、そういえば何度も見たよな、つい最近まで、あちこちで。「3密回避」してたよな、国民全員で。

 で、「2025」のテロップ。ここからは未来の話。そうきたかー、うへえ。

■社会派としての宮藤官九郎

 よくクドカンの評価として、「コメディの中に社会的なテーマを云々」というものをよく見かけます。特に大評判だった前クールの『不適切にもほどがある!』(TBS系)なんか、個人的には全然おもしろくなかったけど、そういうクドカンのレッテルを前提に評価されていたように感じていました。

 だから今回の『新宿野戦病院』の、ただワチャワチャとおもしろくて、それでいて社会的テーマより個人の事情に切り込んで包み込んでいく作風を歓迎していた部分があるんです。どんな時代、どんな状況にあっても、「みんなそれぞれ事情があるんだ」という個人的な問題への視線と解像度こそクドカン脚本の魅力だと思っていて、けっこう原点回帰している印象があったんです。だから、楽しんで見ていたんですね。

 だからといって、このドラマがどうやらコロナ禍の総括ということをやろうとしていることがわかった今回、がっかりしたわけではありません。この感じから社会的なテーマに持っていく、というか、社会的なテーマにこの感じからアプローチしていくときに、今のクドカンがどんなドラマを書くのかというのは、クドカンが今の自分の脚本家としての立ち位置をどう見ていて、社会のどこに置きたいと考えているのかを明らかにするものになる気がするんです。

 ここまでもおもしろかったけど、がぜん楽しみになりました『新宿野戦病院』。刮目しちゃういますね。

(文=どらまっ子AKIちゃん)