東京都葛飾区の取り組みに注目!日本庭園で知られる山本亭の地下防空壕が特別公開されたことについて、亀有地域観光拠点施設の正式名称が「こち亀記念館」に決定したことについて、それぞれ詳しく見ていこう。

日本庭園で知られる山本亭の地下防空壕を特別公開

防空壕について説明する様子

終戦から79年になる今年、8月15日の終戦の日にあわせ、戦争について考える区の主催イベントが葛飾柴又の山本亭で⾏われた。普段は一般公開されていない山本亭の地下にある防空壕を特別に⾒学し、葛飾昔ばなし研究会による戦争にまつわる紙芝居を聞くなど、午前午後で合計85人が参加した。

当日は13時から、集まった54名を前に区学芸員が戦時中の写真を使って、戦争時の葛飾区について話した。区内においても、焼夷弾で区役所が燃えたこと、今回会場となった山本亭に近い柴又駅や帝釈天付近でも空襲があったことについて話があると、参加者は当時の写真をじっと⾒つめていた。

また、葛飾昔ばなし研究会による、東京大空襲について扱われている紙芝居『ガラスのうさぎ』や『コスモスの花は咲いたけど』が上演。参加者は当時の悲劇を静かに聞き入っていた。その後、山本亭の地下にある防空壕の⾒学を実施。山本亭内にある階段で地下へと下り、防空壕内を⾒学した。

区学芸員が柴又の歴史について説明する様子

山本亭は地元ゆかりの山本工場の創⽴者、故山本栄之助氏の住居であったため、防空壕の造りも通常のものと異なる。コンクリート造りで、六畳⼆間の広さに加えて、⾦庫やシャワー室も完備されており、参加者は想像していた防空壕との違いに驚く声も聞こえた。

イベントに参加した吉田翔俐さん(11歳)は、参加してみての感想を「柴又でも空襲があり、葛飾区にも戦争の影響があったことがわかった」と話した。

山本亭の様子

山本栄之助翁は、関東大震災後に当地に移り住み、以後4代にわたって使われていたが昭和63年に葛飾区が取得、平成3 (1991)年4月から一般に公開している。