――しかし、ドラマには未登場の赤染衛門の夫・大江匡衡との関係も、本当はそこまで円満ではなかったのではないか……と思わせられる史料は実は多いのです。

 平安時代末期に成立した説話集『今昔物語』によると、匡衡という男性は、頭はよいのですが、背があまりに高く、「いかり肩」で、女性から好かれるようなタイプではなかったようです。また、匡衡が赤染衛門の「婚外恋愛」に嫉妬し、不気味な歌を送って自粛を呼びかけたという逸話が『後拾遺和歌集』に採録されているのですね。

 生没年不詳の赤染衛門ですが、かなりの高齢まで歌会に参加するなど、心身ともに元気な女性でした。恋の道も大江匡衡との結婚生活とは関係なく、生涯現役だったのではないかと思われます。

 赤染衛門の恋の相手と目されたのは、かなり年下のはずの「右大将道綱」――なんと道長の異母兄の藤原道綱(上地雄輔さん)でした。このとき、嫉妬に駆られた匡衡は、こんな歌を詠んでいます。

虫の血を つぶして身にはつけずとも 思ひそめつる 色なたがへそ
(意訳:イモリを潰した血をお前の手に塗りつける浮気封じのおまじないはしないけれど、私との恋で燃え上がったはずの気持ちを変えるようなことはやめて)

 大江匡衡はドラマにも登場する、「高等教育機関」こと大学寮の教授でもありましたから、古くから中国に伝わる、イモリの血を女房の手に塗れば浮気を防げるという呪術についても知識があったようで、それを自分同様、漢文に詳しい赤染衛門ならわかるだろう……と歌に詠んだのです。

 こういう歌が彼女や、彼女に近しい人たちの和歌だけを集めた『赤染衛門集』に収録されていることからも、史実の赤染衛門は、夫とはずっと円満であったわけではなさそうなのです。

 また若い頃の赤染衛門は、夫にも厳しい態度を取っていたことが知られています。大江匡衡との間に子供を授かった赤染衛門ですが、才能を一番に重視して乳母を採用しました。しかしその女性はお乳の出が悪かったので、匡衡はそれを次の歌で皮肉りました。