日本山岳会は、創立120周年を迎えるにあたり、日本の山岳古道の中から、文化的、歴史的、地理的な価値から記録・保全すべき120の山岳古道を選出し、8月11日(日)の「山の日」より順次「日本の山岳古道120選」サイトにて公開中だ。

山中を行くむかしの道「山岳古道」


熊野古道や箱根旧街道で知られる「山岳古道」とは、山の中を通る古代や中世の道で、その多くは山の尾根など高いところを通っていた。大雨などで崩れやすい川沿いの道や沼地が広がる平地の道ではなく、壊れにくく、日照時間が長くて見通しがきき、弓を持った敵や獣に対して有利な道が尾根沿いの道だった。

やがて平穏な世が訪れ、土木技術が向上するとともに、道は人が住む山麓や平地へと移行。宅地化が進んで新しい道が造られ、採石やダム建設、あるいは災害によって古い道は切断された。道は舗装され、幹線道路として整備され、やがて古い道は人々の記憶からも消えていった。

九州防衛のために東国から防人が歩いてきた道、修験者が悟りを得るために歩んだ山中の道、塩や魚を牛馬に載せて運んだ道、城を攻め落とすために作られた道、掘り出した金銀を運ぶための道、江戸庶民が寺社参詣のために登った道など、さまざまな道がいまも山中に眠っている。


山形県の朝日軍道・寒江山から大朝日岳方面への道、


富山県の立山参拝道・一ノ越から雄山山頂への道、


長野県の秋葉街道小川路峠 13番観音などだ。

山歩きのスペシャリストが足跡を探し出す

地質が脆く雨が多い日本列島では、使われなくなった道はすぐ薮に覆われ崩落し通行に適さなくなるため、歴史や文化、景観などの地域資源を有したまま、山岳古道は自然の中に埋没しようとしている。


地域で語られる道、古文書にあった道、地図から消されてしまった多くの道。遠いむかし人々が利用していた道はどこにあったのか、偉人が通ったという伝説の道はどこにあったのか。日本山岳会では、全国33の支部を中心に、地域の人や古道研究者、自治体などの協力を仰ぎながら数年にわたって調査を実施。人を訪ね、山中を歩き、薮を払い、川を渡渉し、手足を使って古道の本来の姿を確かめている。

失われつつある価値を伝え継ぐ