2006年の第1回WBCの誤審も国をあげた大騒ぎになりました。日本vsアメリカ戦の、日本が犠牲フライでリードを奪ったシーンで、アメリカチームがサードランナーの離塁が早かったと抗議すると、判定が覆ってアウトに。温厚な王貞治監督が『こんなことがあってはならない』と怒りを露わにし、明らかにアメリカ寄りの判定をしたボブ・デービッドソン審判は時の人となりました。

 大谷翔平も微妙な判定に泣いたことがあります。大谷は高校3年の夏、岩手県大会決勝で盛岡大付属に5対3で敗れましたが、3回に打たれたポール際の3ランは映像を見る限りファール。球場は騒然としましたが判定は覆らず、甲子園出場を逃しました。

 救いがあるとすれば、アスリートがこれらを冷静に受け止めていることでしょうか。篠原は一言も恨み言を言わず、『自分が弱いから負けた』と述べ、WBCの日本チームは妨害にも負けずに見事世界一に。大谷も、『際どい当たりだったけど、そこに投げてしまった自分のせい』とコメントし、器の大きさを見せました」(週刊誌スポーツ担当記者)

 こういった事件の反省から、さまざまな競技でビデオ判定やVARが導入され、緩やかながら誤審や疑惑の判定は減る傾向にある。また、審判団が誤審を認め、再試合が行われた例も無いわけではない。

「サッカーJ2で2022年、審判団が誤審を認め、再試合が認められたことがあります。これは競技規則の適用ミスが試合結果を大きく左右したと判断されたものでした。また、2005年にはサッカーW杯のアジア予選で、日本人審判の誤審により再試合が行われたこともあります。ただ、これらはあくまでも例外中の例外で、基本的には泣き寝入りです。

 アスリートに話を聞くと、『誤審で負けることもあるが、逆に勝つこともあるので、トータルで見ればチャラ』というのが、トップ選手たちの基本的な捉え方のようです。パリ五輪でも、柔道女子で日本人選手が不可解判定で勝利を上げましたが、これはほとんど話題になっていません。本来ならこれについても論じるのが筋でしょうが、そうならないあたりに誤審議論の限界があるようにも思います」(前出・スポーツジャーナリスト)