――どんな方だったのか、ぜひお聞かせください!

堀江 島津ハルは、幕末の薩摩藩主・島津斉彬の孫にあたる貴婦人です。島津家は明治以降も鹿児島県のリーダー的存在で、島津ハルも教育者として有名でした。

 30代の若さで、私立鶴嶺女学校を創設、後には三代目校長にもなりました。業績が低迷していた女子校を志望者多数の人気校に仕立て上げ、付属の幼稚園まで作ったところで、業績を買われ、宮内省(※当時)に入ることになったのです。

 大正12(1923)年のことでした。不人気の女子校の業績をV字回復させるって、アニメ『ラブライブ!』を思い出してしまいますが、実際には難しいはず。それを成功させてしまうなんて、すごい女性だったのです。

――そんな島津ハルさんの人生が変わるのが、宮内省からのスカウトであった、と。