史実では定子はこの時、合計3つの歌を遺していました。ドラマの最後の「紀行」で、史実の定子が当時の貴族・皇族の一般的な葬儀として定着していた火葬ではなく、遺言通り土葬の一種になったというように語られていたと記憶していますが、そうなったのも、「煙とも 雲ともならぬ 身なりとも 草葉の露を それと眺めよ」という歌を彼女が詠んでいたからなのです。

 定子は「私は死んだ後でも、天皇と同じ地上に魂だけは留まり続けたいから、この身が煙や雲になってしまうような火葬にはしないで」と、歌で遺言しているのですね。

 そして「私は草の葉の上の露に生まれ変わるので、それを見たら私を思い出して」とも言い残しています。こちらも「夜明けまで」の歌以上に、天皇への未練を感じさせる内容だったのでした。

 定子の遺体は、六波羅蜜寺で葬儀を終えてから、貴族の墓所として有名だった鳥戸野に木造の「霊屋」を建て、そこに安置された後は、朽ち果てるに任せたようです。これは平安時代以前の日本古代の貴人の葬送法を復活させた、当時としては珍しいお葬式だったといえます。

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