ちなみに為時の次の「昇進」といえるのは、寛弘6年(1009年)に官位が「正五位下」にあがり、さらにその2年後、国司として越後守になることができたことでしょうか。それまで彼に役人として具体的な働きはありませんでした。かつて花山天皇の突然の退位によって蔵人の職を追われてから、長徳2年(996年)に越前守を拝命するまでの約10年間の「空白」があったのとほぼ同じ期間です。まぁ、それでも食いつなぐ以上の生活はできていたようですね。

 しかし、「空白」が多い為時と、死亡するまで国司の職が途切れずに続いている紫式部の夫・宣孝のキャリアを比べてみると、史実の為時は、朝廷上層部から役人としてはあまり優秀ではない、もしくは使える人材だとはみなされていなかったことがわかる気はします。

 それにしてもドラマの道長は本当に、まひろの娘の父親は自分だと何も気づいていないのでしょうか? 前回のドラマでも、道長は次妻の明子の邸宅で倒れて何日も人事不省となり、「心臓が弱っている」――史実の道長も悩まされていた糖尿病の症状でしょうか――と医師からいわれていたほど体調不良だったので、まひろが産んだ娘の父親についてなど、まったく考えていなさそうですね。危篤の夢の中で、彼の名前を呼ぶ明子のことを、まひろと間違えて意識が戻った……とか、明子には絶対伝えてはいけないことをしでかしていて、ちょっと笑ってしまいました。普段から柄本さん演じる道長はかなりのポーカーフェイスですが、傍らで嬉し泣きしている明子を見て、さすがにバツの悪そうな顔をしていましたね。

 前回・「一帝二后」の内容も振り返っておきましょう。