安室奈美恵の出身中学校は?

中学校時代の安室奈美恵さんは、いよいよデビューへの前身となる活動を始めることになります。地元沖縄のテレビ放送にも出演するようになり、少しずつ知名度が上がっていきます。芸能活動が忙しくなり、特に3年生の時はほとんど学校に通えなかったそうです。

学校側が『芸能人になっても教養は必要だから』と通学を勧めましたが、『大学を出ても役に立つ人間になれるかわからないから中卒でいきます!』ときっぱり答えたそうです。そして残念ながら卒業式にも出席できませんでした。

いったいどれほど忙しかったのか、出身中学とともに当時の細かい活動も以下にまとめました。

「那覇市立石嶺中学校」

安室奈美恵さんは那覇市立石嶺中学校に進学しましたが、中学2年で地元テレビに出演するようになり、中学3年からは東京での活動も多くなっていきました。最後の1年間は芸能活動がとても忙しく、残念ながら学校にはほとんど通えなかったそうです。

卒業文集の安室奈美恵さんのページは白紙のままなのだそうです。当時の担任の先生はインタビューで、その白紙の文集が『芸能界で絶対成功する!という強い意思の表れのように思えた』と語っていました。

女性ダンスアイドルグループ「SUPER MONKEY’S」で歌手デビュー!

中学2年でアクターズ内選抜ダンスグループ『SUPER MONKEY'S』のメンバーに選出され、地元沖縄のRBC琉球放送のテレビにも出演するようになります。そしてそれが東京のテレビスタッフの目にとまり、中学3年からは東京での仕事も増え全国区で活動するようになりました。

そして1992年中学3年の時にデビューも果たしたため、本格的に芸能活動が忙しくなりました。これでは学校に通えなかったのも当たり前ですね。

担任の先生への宣言通り、その後高校にも大学にも進学していません。のちに通いたくても通えない程人気を博することは、この時は誰も予想していなかったでしょう。

安室奈美恵のソロデビュー曲は「太陽のSEASON」!

東京での活動が増えていく中、1994年にはグループ名を『安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S』に改名しました。そして1995年1月、『TRY ME ~私を信じて~』が73万枚の大ヒットを記録しました。

同年5月に『太陽のSEASON』がリリースされますが、初の安室奈美恵さん単独名義での発売だったため、これが実質のソロデビュー曲となりました。

そしてこれ以降は怒濤のヒットを飛ばし続け、皆さんが知っていてすぐに口ずさめるヒット曲連発の『人気絶頂の黄金期』へと突入していくのです。

ヒット曲を連発し「アムラー」の社会現象を生む

人気に火がついた1995年の活躍はめざましく、10月にはavexに移籍し小室哲哉さんプロデュースのもと、第1弾シングル『Body Feels Exit』が発売されました。これは自身初のオリコン首位と初のミリオンセラーとなりました。

初のレコード大賞ノミネート・初の優秀作品賞受賞、そして紅白歌合戦に初出場したのもこの年になります。

また安室奈美恵さんのファッションやメイクを真似する『アムラー』が街に溢れ、大きな社会現象となりました。アムラーファッションといえばミニスカートに厚底ブーツに茶髪ロングヘアが特徴でした。

ブーツは1970年代のブーム再来・ミニスカートはLAファッションといわれ、新しいファッションが確立した瞬間でもありました。そして莫大な経済効果を生みました。