◆東京進出で起こった最大のピンチ

 地元の大分で、エステサロンを開業した那賀さんは「自分が開発したきれいになる方法を、もっと多くの女性に伝えたい」と思い、東京進出を考え始めました。

「周囲からは『絶対に失敗する』と言われていましたが“自分の作ったものは世界共通なのでは!”と思い、まずは日本の中心である東京へ行こうと決めました!」(那賀さん)

大分時代の那賀さん
大分時代の那賀さん
 しかし、勢いで東京に出たものの、マンションを借りただけで、宣伝費もなく、集客できず途方に暮れる日々。そのころは離婚をして子供は自立していましたが、“せめて自分の生活や老後を子供には迷惑かけたくない!”と思って必死でした。

 ところがそんな中、一つの出会いがありました。