■恋人が記憶を失ったらどうするか

『366日』ではアスカ(広瀬アリス)と付き合っていたハルト(眞栄田郷敦)が事故で頭を打って記憶を失い、病室でアスカが「私はあなたの彼女だったんです。だから、今も私はあなたの彼女です」と宣言して、関係の再構築が始まりました。

 いわば、ハルトという人物にはアスカという目の前の見知らぬ女性を“愛する義務”が課せられたことになります。覚えてないのに「おまえ誰やねん」「知らんし、急に好きなわけないやん」と言う権利がない。そうした発言が即、相手に対する裏切りになる。そういう状態です。

 一方の『くるり』では今回、ITイケメンの律(宮世瑠弥)と記憶を失ったまことさん(めるる)が過去に付き合っていたことが明らかになりました。

 律は、第1話でまことさんの前に初対面として現れた人物でした。公園で出会い、律は「はじめまして」で一目惚れをしたとまことさんに告げています。それは、律が仕組んで装った初対面でしたが、なぜ律がそんなことをしたのかが、今回明らかになります。

「ごめん、記憶が戻らないかもしれないって知って、もう一度、出会いから初めて、またちゃんと、まことさんに好きになってもらおうって」

 そうだよなぁ、と思うんです。それが健全だし、大人として誠実な態度だよなぁ。つらいけど、人を尊重するってそういうことだよなぁ。

 ドラマの登場人物なんて、誰かが作ったウソ人形ですからね。しかも、この2本のドラマは両方オリジナルストーリーで、アスカとハルトも、まことさんと律も、ゼロイチで作られたヒトモドキです。

 そうやって自分らが勝手に作ったヒトモドキを、どれだけ人間扱いできるか、ひとつの人格として尊重できるかというところって、フィクションを作るうえでの技術以前のマインドの部分だと思うんです。このシーン、この人物の行動原理だけ見ても、2本のドラマの大きな違いが見て取れました。