2018年9月にその生涯を閉じた樹木希林さん。女優として様々な作品に出演し、数々の賞を受賞。また内田裕也さんとの新しい夫婦のかたちは世間を騒がせました。そんな国民的女優の樹木希林さんの女優デビューから結婚離婚など樹木希林さんの生涯についてまとめました。

樹木希林の享年(年齢)・本名・出身

名前:樹木希林(きききりん)
戸籍名:内田啓子
旧姓:中谷啓子
生年月日:1943年1月15日
没年月日:2018年9月15日
出身地:東京都東京市神田区
血液型:A型

1961年に付属演劇研究所に合格し、一期生として入ります。その後女優として活躍。様々なドラマや映画に出演し、国民的女優になります。

2007年「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」で日本アカデミー最優秀主演女優賞、2012年「わが母の記」で日本アカデミー最優秀主演女優賞を受賞しています。

樹木希林の生涯

そんな樹木希林さんですが、2018年9月15日に75年の生涯に幕を閉じます。国民的女優としてたくさんの人に親しまれてきた樹木希林さん。どのような生涯だったのでしょうか。

樹木希林の女優デビュー

東京都東京市神田区・現在は千代田区で生まれます。

千代田女学園へ入学し、演劇部で活躍します。薬剤師を目指しますが、足の怪我により大学進学を断念。

その後、自らの人生に目標を無くしていたところ、新聞で新劇の3劇団が研究生募集をしていることを知ります。1961年に文学座付属演劇研究所に合格。その後、悠木千帆という名前で女優デビューします。

1964年にテレビドラマ「七人の孫」で東北弁で啖呵を切るお手伝い役を熱演。一気に悠木千帆の名を広めました。

一躍有名となった当時28歳で出演の「時間ですよ」

1965年〜1990年TBS系で放送されたドラマ「時間ですよ」。主演は森光子さん、そのほかメインキャストとして樹木希林さんはもちろん堺正章さんも出演しています。

「時間ですよ」は銭湯を舞台にしたホームドラマ。樹木希林さんは銭湯の従業員を演じ、アドリブのギャグやトークを披露します。

1965年から放送が始まり、1970年代にシリーズ化、またあまりの人気のため1980年に復活しました。

樹木希林が31歳で老婆役を演じた「寺内貫太郎一家」

1974年にはドラマ「寺内貫太郎一家」に出演し、31歳の若さながら老婆役を熱演します。

何と、主人公の母親役だったそうですが、実際は樹木希林さんが10歳も年下だったそうです。

当時21歳の郷ひろみと34歳の樹木希林が歌う「林檎殺人事件」「お化けのロック」

「林檎殺人事件」は郷ひろみさんの27枚目のシングル曲です。樹木希林さんと郷ひろみさんのデュエット曲で、ドラマ「水曜劇場ムー一族」の挿入歌です。

1978年のリリースにより、さらに注目を集め大人気になりました。

樹木希林の2度の結婚・別居

1964年に岸田森さんと1度目の結婚、4年の結婚生活を経て1968年に離婚。

1973年に内田裕也さんと2度目の結婚。しかし結婚1年半で別居し、その後一緒に住むことはありませんでした。

また内田裕也さんが離婚を希望し、離婚届を勝手に提出。樹木希林さんが離婚無効を主張する裁判を起こしたことも。世間を賑わせました。

樹木希林は当時34歳で「悠木千帆」から改名

樹木希林さんは34歳まで悠木千帆という名前で活動していますが1977年に樹木希林に改名します。

きっかけはテレビの特番に出演した際に、企画でオークションに出すものが何もなかったという樹木希林さんが、なんと自身の芸名・悠木千帆を売却します。樹木希林さんは特に悠木千帆という名前に思い入れがなかったと言います。

売られた悠木千帆という名前は2万200円で服飾デザイナーの女性が落札しました。そして2004年にはその名前を無償で女優の山田和葉さんに譲ったそうです。

2代目となった悠木千帆さんはドラマや映画で大活躍します。また樹木希林さんはその後、辞書を引いて適当な字を拾い、樹木希林という名前になったようです。