◆ライブでなければならない理由を見出すのが難しい

 ニュースなどの映像を見ると、国立競技場でのライブと「紅白歌合戦」(NHK 2023年)での東本願寺の能舞台での演出に大きな違いはありませんでした。ライティングやアニメーションとコントラストを成すAdoの黒い影という構図はそのままで、MVに合わせて人形が歌っているだけのように見えました。

 厳しい言い方をすれば、これはスマホ画面を拡大しただけの世界観なのではないか。

 歌の迫力が担保されないのなら、これがライブでなければならない理由を見出すのが難しいのではないかと感じます。

 クオリティが低いと言いたいのではありません。ただ、Adoの楽曲、ビジュアル展開が、ストリーミングや動画視聴に特化した狭い範囲のクリエイティブなのではないか、ということです。

 確かに、素性を明かさず、影が踊り狂い、身体を捻(ね)じ曲げ、床に突っ伏して絶唱する光景には大きなインパクトがありました。けれども、その衝撃は瞬間最大風速的なものであり、物珍しさは次第に薄れていきます。