◆コンサート目的ではない大会場では“聴いた”より“目撃した”
筆者は現地にいなかったので詳細はわかりませんが、コンサート開催を主目的に設計されていない大きな会場では、多かれ少なかれ音はぼやけるものだと痛感しています。
1998年に東京ドームで行われたローリング・ストーンズ、エルトン・ジョンとビリー・ジョエルのジョイントライブは、いずれも音が遅れて聞こえてきました。遅れるだけでなく、残響が回収されないまま積み重なっていくので、ごわごわとうねった大音量しか残らないのですね。
当然、曲や演奏の全体像は把握できませんでした。日本武道館ぐらいのサイズだと多少ましになりますが、それでも“聴いた”という満足感は得られにくい。
そう考えると、大きな箱でのライブはこれとトレードオフで“その場にいて目撃した”という満足感を観客のお土産にしてもらうために行われると言っても過言ではありません。
Adoのライブに参戦した人たちもそれぐらいは理解していたでしょうから、それでも見過ごせないほどにひどかったのだろうと想像できます。
では、今回のライブは本当に会場だけの問題、また音響システムの設定、見通しのミスだけの話なのでしょうか? 別の視点から考えてみたいと思います。