■で、脚本の話
ひと言でいえば、出力の高い脚本だったなと思うんです。
記憶喪失の美女と3人のイケメンという構図があって、イケメンは3人ともウソをついているという仕掛けがある。おそらくは、企画の骨組みはそういうものだったろうと思うんです。めるる主演で、記憶喪失モノのラブコメ&ミステリー風味のドラマを作りましょうという中で、じゃあ記憶喪失になった人の心の動きってどんなだろうということに、脚本が真剣に向き合って創作してきた。
記憶が戻ったか、戻ってないか、その人物を客体視して周囲の人たちの戸惑いや悲しみを描くだけでも、ラブコメ&ミステリーとしては十分成立するものだったはずなのに、『くるり』というドラマはちゃんとまことさんという人物の背後に回り込んで、主体的に記憶喪失の人が記憶を喪失したまま人として生きていく道筋を考えて形にしてきた。
自分が何者だかわからない。ひとつひとつ決断をすることで自信が生まれ、自覚が生まれてくる。それでも自分自身を定義しようとすれば、また迷いが生まれ、その迷いを受け入れたり他人に委ねたりしながら、結局は感情に従うしかないことに気づいていく。
それは記憶を失っていない私たちにとっても、迷いが生じたときの心の動かし方を示唆するものでした。
きっと、このドラマを作った人たちは、そういうことを普段からちゃんと考えて生きてるんだろうなと思うんです。何かに迷ったとき、その迷いの正体をちゃんと掘り下げて自分の中で言語化・実体化してきたからこそ、「めるるが記憶喪失でラブコメ&ミステリー」という仕事が舞い込んだときに、それを企画に合わせた形で表現できる。そういう、マジメに物事を考えて生きてるやつがこの国のどっかにいたんだなと再確認できることもまた、ドラマを見る楽しみのひとつだと思いました。
いやぁ、最後は甘々でちょっと瀬戸康史がバックハグで「好き」なんて見てらんない感じではありましたが、おもしろかった『くるり』。ありがとうありがとう。
(文=どらまっ子AKIちゃん)