2011年より始まったシリア侵攻で、テロリストに破壊されたと云われるパルミラ遺跡。2024/3時点での状況をご紹介します。筆者の訪ねた感想としては、「思ったより残っている」です。

パルミラ(タドムル)の歴史

シリアの首都ダマスカスの北東約230kmに、タドムルと呼ばれる砂漠のオアシスがあります。

古代オアシス都市として栄えたパルメラは、紀元前18世紀に楔形文字で書かれた文書には既に「タドゥミル(タドムル)」 というこの町の呼び名も残されていました。アラビア半島とメソポタミア、そして地中海を結ぶこの地は、古くから東西交易の中継地として栄え、特に紀元前1世紀末から紀元後3世紀にかけては、中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの隊商都市として栄華を極めました。

この周辺で絶大な勢力を誇っていたローマとパルティアが常々争っていた時代、パルミラは両者の力関係をうまく利用して独立を保持し、交易による関税の徴収によって豊かな経済活動を続けます。そして、多くの神殿や建造物を建設し続けました。

しかし、ローマのパルミラ進撃に最後まで降伏勧告を拒み続けた結果、272年、ついにローマの手に落ち、その後は6世紀以降にアラブのガッサン朝、ウマイヤ朝、アッバース朝と支配者が代わると、オスマン帝国時代に入って急速に都市としての力を喪失し、その後、再び歴史の表舞台に立 つことはありませんでした。

パルミラ遺跡

パルミラは、シリアの遺跡の中で最も代表的なものの一つです。砂漠に忽然と姿を現す街は、1980年に「ユネスコの世界進産」に登録されました。広大な大地に聳え立つ黄土色の列柱群や神殿は、かつての輝かしい栄華を見て取れ、シルクロード交易で繁栄を極めたパルミラ王国を思い起こさせます。戦争前まではシリアを代表する観光名所でしたが、今となっては全く観光客を見ません。テロリストに破壊されたパルミラ遺跡が今現在(2024/3時点)どのような状態かも交えご紹介します。

ベル神殿

紀元後1世紀から2世紀にかけて建設されたベル神殿は、列柱で囲まれた広い基壇の中央に本殿や祭壇がありました。

2011の戦争以前は、下の絵葉書のように本殿らしく立派な建物がありましたが、今は枠を残すのみ。

尽く破壊された様子がわかります。

本殿は主神のベル(バール)と太陽神のヤヒボール、月神アグリボールの三神に捧げられていました。

記念門(Monumental Arch)

遺跡群の入口にある記念門は英名のとおりアーチとなっていましたが、今はそのアーチ部分は破壊されサイドの列柱のみです。

戦争前まではこのような美しいアーチの門でした。

ナポ神殿

メソポタミアの神を祀ったナボ神殿。以前は列柱も残っていましたが、今は土台のみです。

円形劇場

円形劇場は、経年劣化こそ見られるものの、破壊は免れているように見えます。

ほぼ完全な舞台が遺っています。

毎春にパルミラ・フェスティバルというイベントが開催されていたそう。

議事堂

元老院の議事堂は建物こそないですが、入り口のアーチは顕在です。

市場(Agora)

広大なアゴラでは、上述の通りシルクロードの要衝らしく様々なものが売られていました。

商品ごとに税金も決まっており、パルミラ語で彫られたそれらの石板は首都ダマスカスの美術館に展示されています。

列柱通り

ところどころ破壊されていますが、美しい装飾が施されていたであろう列柱の通りが長く続きます。

こちらは古代の水道。列柱通りに沿うように流れていました。

四面門(Tetrapylon)

以前はこのような美しい4つの門がありましたが、

今は4本の列柱を残すのみです。

アラブ城

高さ150mの岩山山頂にそびえるアラブのお城です。

民族文化博物館

以前、文化博物館のあった場所は簡易なカフェになっており、パルミラコーヒーやトルココーヒーを淹れてくれます。