その後、現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていたが、東関親方との関係や将来設計、日本相撲協会の体制ややり方に不安を抱き、03年11月、日本相撲協会に退職願を提出し、受理されたのちに記者会見を開き総合格闘技「K-1」参戦が発表された。

「K-1が提示した契約金は1億円とも言われ、それが参戦の理由のひとつとされていますが、両膝が悪く、まともに格闘技に練習ができる状況ではなかった。彼の身体能力を考えると、ベストコンディションのまま総合格闘技に転向していたら、サップ戦で“あんなこと”にはならなかったでしょう」(スポーツ紙の元大相撲担当記者)

 03年おおみそか、ナゴヤドーム(当時)で開催された『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』で格闘家デビュー。当時、格闘技界を席巻していたボブ・サップと対戦し、1ラウンドKO負け。その注目度の高さから、曙さんがうつぶせになって倒れているシーンの瞬間最大視聴率は裏番組のNHK・紅白歌合戦を上回る43.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)というすさまじい数字を記録したのだ。

「ナチュラルパワー全開でK-1王者、アーネスト・ホーストを撃破するなどしていたサップだが、“プロレス”をこなせるクレバーさも持ち合わせていた。曙さんとの試合だが、もっとうまく時間を引き延ばす手もあったはず。だが、とにかくギャラにうるさかったサップは、曙さんの契約金を聞いて『オレが勝ったら、もっとオレの価値が上がる』とたたきつぶすことを決心してリングイン。そしてあの結果となった」(格闘技業界関係者)

 その後、格闘技でなかなか結果が出なかった曙さんだが、05年7月にはWWEでプロレスタッグ戦に挑み、勝利。以降、「全日本プロレス」「新日本プロレス」「ノア」「ハッスル」「ZERO1」など多くの団体に参戦し活躍した。