ふと、思いが及ぶのである。決してハシャがず、立ち姿勢も悪く、むやみに前に出ず、鋭いワードで一刺し。センスしか見せない。それで笑いを取っても、どこ吹く風で知らん顔をしている。暗い目をして、世間に迎合する素振りもない。

 これ、松本人志なんじゃないか。しかも、今の若手が実はあんまり見たことがない、『遺書』(朝日新聞出版)以前の、「在りし日の憧れ」としての松本人志の姿なんじゃないか。

 例えば、2000年代の「baseよしもと」では、舞台で私服を着崩し、猫背でボソボソしゃべる漫才師が大量発生した時期があった。当時の支配人が業を煮やして「漫才禁止令」を出すほどに、みんなが松本人志になりたがっていた。アンタッチャブル・山崎弘也にさえそんな時期があったことも、最近ではネタにされることが多くなった。

 そして、みんな途中で折れるのだ。なぜなら、誰も松本人志ではなかったからだ。

 今回の『ボクらの時代』で、後藤の芸人としてのルーツが語られた。当時の夢は「SCANDALのTOMOMIに会うこと」。好きな芸人は「あばれる君」。デビューのきっかけは「友人が勝手に応募した養成所のオーディション」。と、まるで松本人志に憧れていない。憧れていないのだから、折れようがない。