◆行き過ぎた正義感が、もはや笑ってしまう領域に

『ウィッシュ』より
 そのマグニフィコ王のキャラクターついて、福山雅治は「とても正しく正義感に溢れているキャラクター」「その行き過ぎた正義感ゆえに悲しい存在となってしまった、悲劇の王様だと思う」と分析している。

 なるほど、前述した「悪だとも思ってもいない悪」は、客観的にはそうだとしても、本人にとっては「正義」そのものなのだろう。

 さらに、福山雅治は声の演技にあたって「人は誰しもどんな立場でも年齢でも時と場合によって表と裏があります。裏の部分をどう表現できるのか、シーンによってその塩梅をチューニングするという事を注意しました」と語っている。

 実はマグニフィコ王には長年添い遂げていた妻である王女がおり、なるほどこれまでの人生では平穏無事を保っていた、表の顔が確かに魅力的だったろうと思わせる。その反面、いったん「タガが外れる」と、人はここまで悪であることを隠そうとしなくなるのかもしれない、とも思わされたのだ。

 さらに、福山雅治は「マグニフィコ王のことがよく分かると言うと、福山は暴君なんだなって思われそうですけど。マグニフィコ王に対して甘すぎるのかもしれませんが、複雑みをどうやって入れ込めば、その悲しみが可笑しみにまで昇華できるのか、というアプローチをしたつもりです」とも語っている。

 先ほどの言葉も合わせて、確かにマグニフィコ王は正義心が行きすぎて悪に染まってしまった悲しい存在であると同時に、その「複雑み」「やりすぎ」な感じが良い意味で滑稽にも思えてくる。「ドン引きを通り越してもはや笑ってしまうレベルの悪役」を、福山雅治は見事に体現していたのだ。