“3歳児神話”や“家事育児は女の仕事“とは日本に残る昔ながらの認識で、現代も母親や女性たちにとりつく呪縛のようなもの。
母となったその日からその呪縛が自分の根幹であると受け入れつつも、時には子供や家庭から解放されたただ一人の自分を愛したいと葛藤する30代後半女性ライターのコラムを紹介します。
私に張り巡らされた“3歳児神話”と“家事育児は女の仕事“
日本の理想の母親像は実に古風でステレオタイプだと思います。
“3歳児神話”を筆頭に、母親を呪縛し苦しめるネタはたくさん存在しているし、“家事育児は女の仕事“という認識も依然として大きな顔してこの国に居座っている現状。
かくいう私もその“理想の母親像”の呪縛に悩み、傷付き、常に葛藤しながら子育てと仕事を両立してきた一人です。
おまけに私は2000人規模の企業でワーママのパイオニアでした。
まだ“理想の母親像”がキャリアの邪魔になる時代で、さらに長時間労働ありきの業界と社風だったため、酸いも甘いもそれなりに経験しています。
子育ての知識も経験もない口だけ男性上司の「お母さんの大変さは俺もわかる」を何度も信じた挙句、そのなんちゃってイクメン達に幾度裏切られたことか…
詳しいストーリーはここでは省略しますが、振り返ってみると彼らの中にも、結局“3歳児神話”“理想の母親像”“家事育児は女の仕事“がすり込まれていたなという結論に至っています。
子供の成長とともに取り戻す“自分”
そんな私ですが、子供達も成長し(10歳と13歳)、今やそういう苦労は一頻り乗り越えました。
乗り越えたというか、娘たちがそこそこ大きくなってくれたので、“3歳児神話”も“理想の母親像”ももう崩してしまってもそんなに問題ないステージになったわけです。
実際に、娘たちは衣食住さえ整えてあげていればほぼ困らない年齢に近付き、彼女たちの楽しみを自分や友達の世界で勝手に見つけてくれている。
すでに親の介入不要の自分だけの社会やコミュニティを彼女たちは持っています。
あとは親と話をする時間をきちんと作るとか休日を一緒に過ごすとか、家族全員が満たされるバランスで家族時間を作っていれば申し分ないと言えるだろうし、娘たちにさみしい思いはさせていないと評価してもいいと思っています。
だけど…