催眠術は、怪しいものだ。かかっているか、かかっていないのか、他人にはわからない。だが一方で、催眠術はすべてウソだと断じるほどでもない。仮に自分がかけられたとしたら、かかっていることに気づけるかどうかわからない。自分が催眠術にかかりやすいのか、かかりにくいのか、そんなことは誰も知らない。

 催眠術師と彼女の間でも、そうした催眠術に対する一般的な心理が作用する。綿密に組み上げられた会話劇と蓮見の軽快なツッコミに乗って、ストーリーは「恋」や「愛」と「催眠」が遠からぬ性質であることを白状しながら、若い恋愛感情の揺れを増幅させていく。

 ほかの2組のカップルにも同じだけの時間が流れたことが描かれる。それぞれ、互いを好きになったきっかけだったはずの相手の性格が、共に過ごすうちに受け入れ難くなっていく。ときめきが生活に埋没し、取るに足らない日常の澱に変化していたころ、3年後、同窓会が開かれる。それぞれの思いが「相手を好きになったきっかけ」に回帰していく。

 こうしてあらすじだけ書くと、どこかの素敵なラブストーリーのようだが、実際にそうでもあるのだが、ダウ90000のコントはこの間、ずっと面白いのである。お笑い的に笑える、という意味での面白いが、オチまでずっとそこにあるのだ。

 ああ、完璧だ。そう思った。完璧に面白いものを見た。しかも、見終わった後にもう一度見直すと、冒頭の出会いのシーンに数々の伏線が張られていることにも気づく。それを確認して「すげえな!」とか思っているうちに、通しでもう一度見てしまう。気づいたら、1時間が溶けている。