その後、09年に自身のブランド『W♥C』を立ち上げ、主にデザイナーとして活動。さらに12年には結婚もしている若槻だが、15年から、徐々に芸能活動を再開することとなる。そんな若槻に対して東野は「ヒロミさんと同じで、バラエティーができる人はスッてできる」と評したが、若槻は「受験勉強くらい頑張りましたから」と本格復帰に向けて努力を重ねていたことを明かしている。

 ファッションブランドで成功した“ビジネスをしていた人”としてバラエティーに戻ったところで、各番組で1回ずつお金の話をして“1周で終わる”と感じていたと話す若槻。そうならないために“ひな壇に戻る”という目標をかかげ、当時さまざまな番組のひな壇で活躍していたタレントの研究を始めたという。

 さらに若槻は、その研究のために現在に至るまで5年間書き溜めたノートの存在を告白。そのノートには5年間の女性タレントのテレビ出演本数ベスト20が記されており、タレントの出演本数だけでなく、どの番組に何本出ているかなどの細かいデータも書かれているというのだ。

 また、そのランキングを見て、自分が出演したい番組にシールを貼っていくと、その番組に多く出演しているタレントが自分の“類似タレント”であることがわかると説明する若槻。そして、“類似タレント”を研究することで、自身が今後どう進めばいいのか、タレントとしてどんなことを求められるのか、などといったことが浮き彫りになってくるというわけだ。

 バラエティータレントとして成功する手の内を明かした若槻に対し、東野が「サッカーのボランチみたい」とバラエティー番組での役割を表現すると、若槻は番組のMCは“監督”であり、「監督の指示に絶対従う選手になろう」と思っていると告白した。