岐阜県・垂井宿は、中山道57番目の宿場町です。中山道と美濃路の分岐点に位置する交通の要所でした。豊かな水が特徴で、今でも往時の雰囲気を残しています。今回は、かつて旅人で賑わった垂井宿の見所を紹介します。
往時の雰囲気を残す町並み
駅前に観光案内所があるものの、垂井宿自体はそこまで観光地化されていません。ですが現役で使われている古い建物が多く残っており、宿場町らしい雰囲気が残っています。
まずは駅前の観光案内所で、周辺のマップと必要であればレンタサイクルを借りましょう。
こちらは垂井追分。中山道と美濃路の分岐点です。道標は1709年に垂井宿の問屋である、奥山文左衛門が建てたものです。
垂井宿の町並み。近くにある妻籠宿や馬籠宿などの有名な宿場町のように分かりやすくはないものの、宿場町らしい雰囲気が残ります。
古い建物があちらこちらにあります。
旅籠亀丸屋は江戸時代創業の歴史ある宿です。現在の建物も1777年築と歴史があり、最近まで現役で営業を続けていました。
垂井宿お休み処旧旅籠長浜屋は、徳川家定に嫁ぐ有姫ら3,200名が垂井宿に宿泊した際、お輿担ぎ23人が宿泊した記録が残っています。今では観光客向けの休憩所として使われています。
小林家住宅主屋は、国指定の登録有形文化財に指定された町家です。外観のみの見学となります。
小林家住宅主屋のむかいにある本龍寺。創建不詳の浄土真宗大谷派の寺院です。徳川家光が休憩した記録や、松尾芭蕉が宿泊した記録が残っています。本龍寺の山門と書院玄関は、垂井宿の脇本陣の表門と邸宅が移築されたものだそうです。
西の見附は垂井宿の西の玄関口です。安藤広重が垂井宿を描いた版画は、ここからの眺めといわれます。
痕跡は残っていませんが、こんなスポットもあります。この写真の場所は長屋氏屋敷跡です。鎌倉中期に垂井に移り住んだ豪族、長屋氏の屋敷跡で、京都を追われた後光厳天皇が一時期滞在し仮御所としていたことがあります。
宿場町だけあって、このように古くから歴史上の偉人が滞在したり、通過した記録が多く残っています。
宿場町をうるおす豊富な水
他の宿場町と比べた時の分かりやすい特色として、目で見て分かるほどの水の豊かさがあります。
垂井の泉は、垂井という地名の由来とされています。740年に聖武天皇が立ち寄った曳常泉はここのこととされます。
また、垂井の泉の裏には裏清水があります。現代でも生活用水として使われており、時折小魚やカニが姿を現します。
古清水も生活用水として使われています。当番表があることから、持ち回りできれいにしていることが分かります。住宅街の細い砂利道の奥にあり分かりづらいですが、うっかり人の家の庭に入らないよう観光マップなどを見ながら注意して探しましょう。
西清水は、1831年の古い地図にも記載されています。鯉が離されており、他の清水よりも深い分透明度の高さがよく分かります。