先述したように、現代ほどエンターテインメントという名の「嘘」が難しい時代もない。それはテレビ業界であろうと、漫画業界であろうと、アニメ業界であろうと、同様だ。『推しの子』という物語は、ある時は恋愛リアリティーショーに出演する若者を描きながら、ある時はアイドルとしてデビューする少女たちの葛藤を描きながら、ある時は舞台化される漫画家の苦悩を描きながら、「SNSで簡単に「嘘」が暴かれる時代に、何を提供できるというのだろう?」という問いについて、手を変え品を変え考え続けている。

 だとすれば、こうも言えるだろう。『推しの子』の作者である赤坂メンゴは、アイドルという職業の物語を描きながら、「現代において嘘をつく職業――エンターテインメントを提供する職業は、何をすればいいのか」という物語を紡いでいるのだ。『推しの子』は、アイドルの物語でありながら、これは漫画家である作者の創作論ではないだろうか、とも考えられるのだ。

 つまり、芸能界を舞台に「どうしたら人気になるか?」「どうしたら自分の目的を達成できるか?」と問いかけながら「嘘」を紡ぐ主人公たちの姿は、実は、出版界で「どうしたらこの漫画を人気にできるのか?」と奮闘しながら、漫画という「嘘」を紡ぐ作者の姿でもある。だから私たちは、こんなにも『推しの子』という物語に熱中する。それは作者の熱い創作論が、作中の随所にちりばめられているからだ。

 考えてみれば作中、「コンテンツとファンは既に相互監視状態にある」(3巻)、「この業界 君達の才能を利用するだけ利用して捨てる悪い大人が沢山いる」(4巻)など、漫画界にも当てはめられる言葉がたくさん綴られている。近年は『ブルーピリオド』(山口つばさ)や『ルックバック』(藤本タツキ)や『これ描いて死ね』(とよ田みのる)といった創作を扱った漫画が相次いで「マンガ大賞」にノミネートされているが、『推しの子』もまた、そのような創作論を扱った漫画のひとつだと捉えられることができるだろう。

 「推し」という昨今の流行を捉えたタイトルを冠しつつ、その内実は「現代の嘘を描くことについての創作論」でもある『推しの子』。人気になるのも頷ける主題だ。私たちは作中でアイやアクアの吐いた「嘘」を楽しみながら、同時に、『推しの子』という名の「嘘」を大いに楽しんでいるのである。