現代ほどエンターテインメントという名の「嘘」が難しい時代もない。まさに作中で描かれているように、たとえばアイドルのプライベート事情や、あるいはバラエティ番組の裏側、そして芸能界の実情について、告発がSNSで放たれること――いわゆる「流出」が後を絶たない。『推しの子』が描くように、芸能界でアイドルがしっかり「嘘」をつこうとしていても、SNSによってその「嘘」が明かされることも、少なくはない。現代のエンターテインメントは、完璧な「嘘」を視聴者に提示することが、難しくなっているのだ。

 しかしそんな時代にあって尚、視聴者はぎりぎりまで「現実」に近しい「嘘」を望んでいる。たとえば作中に登場するような、リアリティーショーの流行がそのうちのひとつだろう。配信サイトのランキング上位には、常に恋愛リアリティーショーやアイドルのオーディション番組が見受けられる。もちろん視聴者は、リアリティーショーで行われていることがすべて真実であるとは思っていない。そこには演出があり、嘘が含まれていることは理解している。だが一方で、すべてが嘘だとも、もちろん思っていない。リアリティーショーやオーディション番組を、ある程度は現実的な真実として受け取っているからこそ、私たちはそれに熱狂するし、同時に批判もしてしまう。

 私たち読者はどこかで、『推しの子』を、リアリティーショーのような「現実を反映したフィクション(嘘)」として読んでいるのではないだろうか。だからこそ、こんなにも私たちは『推しの子』という名の嘘に熱狂しているのではないか。

 もちろん、作中の描写すべてが現実であると考えている人はいないだろう。「推しの子に生まれ変わる」「子を産みながらトップアイドルになる」――そんな設定を、現実そのまま映し出したものだとは思っていない。しかし一方、先日「現実のリアリティーショーで起きた事件を彷彿とさせる演出をしている」という主張に基づき、SNS上で『推しの子』アニメ配信について論争がおこなわれていた。それはまさに『推しの子』という作品の「嘘」に対して、「現実」を見出してしまうからだ。創作物という名の「嘘」について、SNSという名の現実で批判をしたくなってしまうのは、私たちが存外、嘘と現実の境界が分からなくなっているからではないだろうか。